ほんのかんそう。「捏造の科学者 STAP細胞事件」 須田桃子

タイトルは「捏造の科学者たち」にしたほうがより正確なような。
STAP細胞はあります!」が不確実になった以降の理研側の交渉術が時系列にされると際立つ、「エリート科学者」の条件とは「政治力」かー!と言いたくなるくらいだ。
この件に関しては私も含めて理研側の主張の方が広く認められた印象がある。
まあ、組織を守る組織力がないと、権威ある組織は存在し得ないわな、と、多少は理解できるものの、
これは「権威」という信用を担保にした一種の「詐欺」事件なのだよね、それを組織ぐるみで隠蔽しようとしたという、
例えばこれが警察であったり政治関係の部署で行われたことであったら、ここまで「理研」側に立つ人間がいたのかな?という、自分の反省も込めて振り返る、
ズブズブ文系人間にとっては理系領域は「聖域」であってほしいのよね、、「理系」だけは「実力」社会であってほしいのよ。(涙)
それを「そうではない」と暴き出したのがこの本、どの組織でも大きくなると迷走が始まるものらしい、「守り」に入ると弱いわね、
ただ、それをしていいものかどうか、の疑問は理研の管理側にあったかどうか、科学者としての良心はどこにあったか、を私は問いたい、
「彼女は真面目でイイ子です!」が「嘘はない!!」の担保になるなら科学なんて必要はないだろう、全く、何のための「科学」なのか。
おそらくは小保方晴子氏を守るというよりは、笹井芳樹氏を守るためにしたことなんだろう。この件に関してはやはり亡くなった笹井氏の責任は免れない。
なぜ、こんなに簡単に小保方氏を信用してしまったか、亡くなられた原因は多分そこにある。
普段ならば疑問に思うべき箇所も見逃してしまったのは、重すぎる責任により蓄積された疲労のせいではなかったか。
それが死まで招いてしまった。
こういう現実はどこにでもある、能力の高い人ほど過剰に仕事を抱え込み、また「できる」ものだから常に限界にまで挑戦され、どこで臨界点を迎えるかわからない、
大惨事が起こった後、はじめて周囲は「ワー、大変だー!!」となるわけだが。
それを思うと、理研側が責任を感じて将来のある本物の科学者である笹井氏を不名誉からなんとか守ろうとしたのもわからないでもない、
ついでに組織の責任もごまかせたらいいな、的な、いやー、ほんま、頭のいいやつが企むと、ロクでもない、
理研幹部の皆様がたはいつでも政治家や官僚に転職オッケーってことですな、などと、嫌味のひとつも言いたくなるが、
既にそうなっている人も多いので、誠にエリートは心身ともに丈夫な人が多いね。
笹井氏も今回のことさえなければなんとか生き延び、そういう一員になっただろうに、大変残念だ。
私は、一般的に週刊誌で騒がれるような小保方氏と笹井氏の男女関係をにわかに信じることはないけれど、
果たして、この実験結果を発表したのが若い女性ではなく若い男性だったとしたら、ここまで甘く審査を通り抜けられたかどうか、
その辺も含めて考えさせられる事件だ。
この本は理研側の最終発表を待ってから出版された方がより良いものになったと思われる。続編が出るのかもしれないが。
「捏造の化学者は誰だったのか!」を書いている本ではないが、科学報道のあり方の一つを提供している良本であると思う。