ネット雑記。

最近の増田では「いい話だから嘘であっても許そうよ」的な創作話がよくホットエントリに上がっていて、
いやはや、はてなはもう少し理性的、科学的に根性ワルな世界だったように思ってたがなあ、とため息が出る。
「女子」大の初老の「女性」講師の話を聞くのは当然「女子」だよなあ、
セクハラ関連話にああも「女子」が連ねられると、それだけで意図がミエミエだわ、
でも「内容がいい!」と評価する人も思いのほか多くて驚かされる、世の中「いっぱいのかけそば」話が好きな人が多いものよ、、
で、今朝はまるでアメリカの80年代小説みたいな設定の増田が上がっていて、これもブコメが「応援してるよ!」って、
アーウィン・ショーの小説仕立てか、と思う心の黒い私は、しみじみなんとネットはメルヘンを愛する人が多いかと、
でもこれが意外に「世論」として人の心の流れを作る、
嘘と誤解が積み上がっていく世界はいずれ崩れるものなのだと歴史を何度学んでも人は気が付けない、
どれほど「いい話だな〜」でも、「嘘は嘘」だとしか思わない私は不幸だなあ、、、、なんて、思ってないけど。
宗教漬けにされた子供がどうやって今の時代、まともな社会人になって夫も家も子供も仕事も持てるのか、
まともに育っても、それが得られないような社会なのにね。
「すっごい頑張った人なんだよ!今でも頑張ってる人なんだよ!!応援してあげなくちゃ!!!」が人としてのあり方なんだろうが、
ありえない設定には私は納得できないし、その主張が「子供時代に得られなかったものが云々」と、巧妙に歪んだ育児論に持って行かれているんで、
なんか、増田の意図するところは初老の女性講師の話す内容ととてもよく似てるよなあ、やはり「増田職人」というのはいるのだなあ、と、半ば感心している。
「子供時代を満足に送っていない奴は不幸の連鎖に取り込まれがち」ってのは、「育ちが悪ければ何をやってもダメ」につながる危険思想に私は思うんだよね、悪いけど。
育てるって、そんなに常に理想的な正しい答えがあるわけではないんだよね、子育てに夢中になってる時期でもうっすらとはそのことが分かる、
でも、確信はない、だから苦しむ、だから、増田みたいに綺麗に「論点整理」ができる文章は本当に苦しんでいる人間には書けないんだよ、
ま、でも、ネットでは「きっと、とても努力家のすごい人だから出来るんだ!!」って、いやー、はてなは特に努力家が嫌いな世界だと思ってましたがね。
どんなにいい話でも嘘は嘘、と私は思うのでなあ、、、
薄気味の悪い話に惹かれる人は多いなあ。