村岡花子本、雑記。

裏表紙に村岡さんが翻訳した小説の表紙がずらりと並んでいて、その絵がなんとも「昭和」
つか、「赤毛のアン」が「赤毛」じゃなかったり、時代が全然違ってたり。
なんとなくグレース・ケリーオードリー・ヘップバーンっぽい絵が付いてるんだな、
レスリー・キャロンの映画っぽいのもあったり(古い!)なんだろう、このいい加減な表紙、
これでも昔の少女は貪るように翻訳小説を読んだんだろうな、
かろうじて、私が読んだ版の挿絵は「赤毛」なんだけれども。
てなところを楽しみつつ河出本を楽しんでおりますことよ、
なんツーか、入っている評論も何を尺度にして選んだのか、微妙な味わいがあるんだけど。
私自身も「村岡花子」といえば、「お世話になりました!」的な感覚を持っているので、彼女について書く人の思い入れが深いのはわかるものの、
途中で、なんかあんまり彼女自身(村岡花子さんね)の話になってないなあ、みたいな思い出話っぽいのもあったりして、
で、私が正直、今回驚いたのは熊井明子さんがさらっとふれた、村岡さんの結婚が「不倫・略奪愛」という成り立ちだったとの話で、
ほかのところや略歴では触れられていないので、熊井さんの思い違いか、とネットで調べたら、お孫さんがはっきり書いた話らしく、
これは「アンのゆりかご」を読んでみなければ。
考えてみれば、大正モダンガールは柳原白蓮といい、与謝野晶子といい、なかなか、お盛んで、
ただ、村岡さんもその夫君もクリスチャンであるというのに、少々、私は引っかかるなあ、、、
ていうか、村岡さん、なにげに男運、悪かったか、なんつって、先のモダンガールも、なんだかんだで結局夫の女癖には
手を焼いたようだからなあ、、、盗られる男はいつも誰かに盗られるのよ、それでも「結婚」を続けるのが「結婚」の不思議。
村岡さんの夫君は結核だった前妻と離婚して結婚、と、この方は考えてみれば、子供運のない人だったらしく、前妻とのお子さんは関東大震災で亡くされ、
村岡さんとのたった一人のお子さんも、疫痢で亡くされている、気の毒だなあ、、なんて思いつつ、実は記録されない、外に作った子供がいたりして。
昔は本当にこのあたりがいい加減なのよね、、、なんにしても、村岡さんはたった一人の息子さんをなくしたあと、お子さんはできなかったようで、
妹さんのお子さんを養子にしてそのお子さんがお孫さんのよう。ううむ、これもまた、昔、よくある物語なのだよなあ、、
という、どうでもいいことばかり書いたので、もうちょっとほかの内容をまた明日以降に。
河出本はいつも思うが、セレクトが微妙なような。単に私と感覚が違うだけなんでしょうが。
グーグルクロームに変えて書いていると、編集がちょっと違っていて微妙。そのうちなれるかな。