いろいろ。

ネットで「釣り」記事の話題が出ていて、「釣り認定」に関しては諸説あるようだけど、
年をとるとわりとどうでもいいようなことが引っかかるのかも、と、自分だけかもしれないことを考える。
今朝読んだ朝日新聞で「釣り?」と思ってしまった記事があったんだよなあ、その記事の趣旨とは関わりないところで。
「いま子どもたちは」の特集で、今回「居場所、やっと見つけた」のタイトルで11歳の女の子を取材しているのだけれど、
この子の母親が、なんと「49歳」。
ってことは、女の子は母親が「38歳」の時の子供で、ま、そこまでは「イマドキ」特に珍しいことじゃない、と自分に言い聞かせられるものの
女の子の父親はなんと薬物依存症だったとか。しかも「新潟県」で。
女の子は今、都内に住んでいるので、両親もずっと都内なら「薬物依存」も納得、、、なんちゃって、
地方でそんなに簡単に薬物って手に入るかね?で、1歳児を抱えて、何故か39歳の母親は上京。
記事では「母は言う。「不安と恐れの中で過ごしたせいか、娘は自分に自信がなく傷つきやすい性格で、いじめの標的になりやすかった」」
とあるものの、少女が小学2年から2年間も不登校になったのは、
「薬物依存の父親」というものよりも、ほかの事情を抱えていそうな、50前の母親にあるんじゃないか、
なんて疑問を抱く私は、多分、「ひとでなし」なんでしょうなあ。
つか、この母子を責めるつもりは毛頭ないが、記事の書き方に恐ろしく問題があるんじゃないか、
結論は「自分を受け入れてくれる居場所をようやく見つけ、人との関わりを取り戻した」と、素敵な締めくくりではあるものの、
なんか腑に落ちない感が私には残る。
これ、はっきり言って「よかったね、これから幸せになれるよ」の話ではないんじゃないか、
引き続き、大いに少女をサポートし、できれば、かなり不安定な母親からそれとなく離れる機会を与える、
「今後も要観察」であることを一言添えるべきな記事と、考えるのだよなあ、、
とにかく年をとると、書き手が意図しているところとは全然別のところが気にかかる、ということで。
「え、「釣り」?」と考えてしまうような新聞記事ってあるんだよなあ。
ちなみにこの記事を書かれたのは「斎藤純江」氏、さて、今後どういう記事を書く人か、名前に注目しておこう。
記事の感触からして若そうに思えるんだけど、「純江」とは、ずいぶん「クラシック」な感じだ。