雑談。

増田の流行りが止まらなくなっているなあ。
でもこれはネットで、永遠の流行である「お母さんなんて大嫌い!」の別バージョンだからなあ、
それから「私だけが大好き!大人である私よりも可愛い子どもなんて大嫌い!」でもあるのだよね、
別に「子供なんて大嫌い!」でいいと思うんだけど。
でも「子供嫌いなんていう鬼畜には思われたくない!」という、
自身がどうであるかより、他人にどう見られるか、が絶対である中高生青春感覚は永遠に衰えないらしい。
子供嫌いの鬼畜でいいじゃないか、人間はそこから大人になるんですよ、
でも「大人になんかなりたくない!」と、こういう中高年が年をとった時がひたすら怖い。面倒くさい。
子供と障害者関連を絡めている増田も拾い読みしたが、一日中、家にいる障害者というのに私は違和感がある。
私の知る限り、何らかの施設を利用している家が多いからね、ずっと一緒、という方が珍しい気がするなあ。
知り合いや親戚から聞いて驚くのは、障害者が働く施設の低賃金さ、考え込むような額なのだよね、
そこが増田には取り上げられない、だから私は増田はいい加減な奴が適当に書く、とみなしている。
「増田職人」なるものがいるとして、これからはやはり介護関係の老人ネタになるのかな、
私はその時期真っ盛りだが、増田の哲学に共感することはなさそうだ。
増田には驚くほど「愛」がない。正確には「愛」への理解がかけらほどもない。
人の苦しみは「愛」が絡むのに、その理解がないから、言葉の羅列にしか私には見えない。
障害者や育て方、生むことに絡めて上手に子供を排除しようとする動きの果てには、
いずれ年老いて、障害者や子供と同じ弱い存在になる自分の排除につながっていくのか、
いずれ必ず人間は年をとる、「今」は「永遠」ではないことがどの程度理解できているのか、
人気ブコメを見ると暗澹たる思いに駆られるなあ。
しかしどうかと思うようなブコメの星ってひとりの人間が山ほど付けている場合が多いのがなんとも。
そのエネルギーを別のところに使えば今より幸せになれるかもしれないけどね。
今日はダーリンと「おデート」だったわ、中高年の「おデート」はまったりと、それはそれはのさのさしているのでした。
でも楽しかったざんす、おしまい。