雑談。

先日、ちきりんさんがいま特集しているゲーマーの話から子供にゲームを許す時間について「一日15分なんて、、」と笑っていたのを読んで、
あ〜、これを言って実践しているご家庭は少ないからね、と補足したくなった。
敵(=子供)は「15分」と言ったら、確実に「1時間」はやる連中だからね、うちの子は幸いにして違ったけど。
うちの場合は「宿題をしたあとならいくらでもしていい」ということになってたんで。
いっぱいしたければ宿題をできるだけ早く終わらせる、で決着していた。
ゲームをさせる時間はそれぞれのご家庭によって考え方が違うので、特に群れて行動する時期の男の子のご家庭はかなり大変だったような、
とにかくいつまでもやり続けるからね、なんでか男の子は。女の子はそこまでゲームにハマる子は少なかった気がする。
ゲームを許す時間についてはとにかく「15分!」と宣言しておけば「1時間」くらいでやめてもらえる、
つまり親が「許す!」と言ってくれた時間×4が実質子供がやる時間で、
「これをもし「1時間」と言ったらどんな恐ろしい事態に、、」と涙目親から聞いたことがあるわ、
「1時間!とか言えば多分4時間はやる!」それが小学生男子という生き物なのよね、、
その視点が子供を育てていなければないと思う、だから「たった15分なんて言ってる非常識な親!」扱いは一概にはできない。
私の知る限りその「15分!」を忠実に毎日守らせる親はいなかったなあ、何かでキレてしばらくそれを厳格に守らせる、は聞いたことがあるけど。
なんというか、教育関係では常識的な現実レベルの話が通じないことが多いような、私は嫌いなんだけど、ネットでは評価の高い苅谷剛彦なんて
「階層と意欲と成績はー!」と鬼の首でもとったように言うけど、もともと、日本の教育は専業主婦がいないと成り立たない仕組みで出来上がってんだから
「階層で成績や意欲に違いがある!」なんてのはバカバカしいほど「当たり前」のこと、
子供を普通に公立学校に行かせてたらすぐ分かることをなんで金かけて「研究者」にデータなんて取らせるんですかね?
家庭で手をかけないとどうにもならない仕組みにしたのは東大卒の官僚たちですよ、アンタの同窓でしょうが、と苅谷剛彦の談話を読むたびに思うわ。
なんにせよ、現実にはどういう働きをしている「コトバ」なのか、ちきりんさんの記事の趣旨自体には特に異論はないんだけど、
親側の苦労と工夫をもう少し理解されてもいいだろうな、と思った。
ゲームもずっとやってる子って割と限られてくるんだよね、子供の時間の回転は早いんで。
男の子でさえ、ある時期からゲームを「何時間でもやれる!」状態から、抜け出してしまう。はまり続けるって難しい事なんだよね。
でもそれを超えていつまでもやり続ける子が「キングオブゲーマー」になったり、開発者になったり、あるいは悲しいけど、何らかの精神疾患があったり、
子供を普通に育ててたらわかることって多いね、だから子供はもって見るに限る、と私は思う。
やってみないとわからないことって、いっぱいあるよね、というお話。