雑記。

上の子の大学入学式に出席しなかったことを反省して、「卒業式には必ず!」な約束をしたのだけれど、
先日の帰省時に「就職先によっては卒業式に出席できないこともあるみたい」と、
この間の成人式お着物レンタル時、「卒業式の袴をセットにすればさらにお得!」に乗らなくてよかったなどと考えつく私はどういう頭の構造になっているのやら。
しかし、さすが親子、娘も「卒業式には絶対お友達と袴が着たい」と、やっぱりそっちに頭がいくよねえ、、しみじみ。
それはともかく、先日のニュースでは「大学入学式に親の出席率6割!」の上に「就活に親も参加!」とあって
就活に親が参加しているのは、何か事情のある場合が多いんじゃないか、一概に、「子供を過保護にしすぎてる!」とは言えない気がする。
私の知り合いでそれをしたという人を見かけないしね。
大学の入学式出席の話に戻せば、地元の大学に行かせた人は当たり前のように行ってたな、
うちは外に出したので、それで「独立完了」的「けじめ」ができたけれど、
子供が大学も親元から通うとなると親も親なりに何らかの「けじめ」を持たせる意味で入学式出席になるように私は感じた。
「お金がないから都会の大学には出してやれない」って事情をどの程度、かの調査をする人間は考えているのか、
「親の過保護化」というよりは、親の就活参加も、もっと切実な経済事情が原因として存在すると思う。
そもそも、自分世代の就職事情とは全く違うしね、それを知るためだけにも「就職セミナー」なるものに参加しようとする親側の気持ちはわかる気がする。
かつて、私の親世代なら当たり前のように「コネ就職」させてやれていたが、それもできなくなっている人が増えているのが現実、
「親のコネ」就職が少なくなってきて、代わりに「親が就活に出向く」になっているのかも。
私は自分はしないけれど、それをする事情のある親を「過保護化!」と責める調子には乗りたくない。
そもそも、私が育ち切った子供の何かにあんまり参加しないのは私自身の存在が子供の邪魔になる可能性が「大」だから。
自分よりはるかに出来のいい娘を持つとせいぜい、足を引っ張らないようにするのが関の山。トホホ。
なんというか、子供が少なくなって子育てが「見世物」化しているから、何でもよく事情を調べもせず、「責める」ネタになればいい、みたいな、
どこまでも親を、結果的には子供を追い詰めるような論調はどうにかしたほうがいいわ、
つか、どうにかできるよう、書いておこう。
こういうことを書いておくと、必ず、下の世代につながっていくからね。
親をやっていると、自分とは考え方の違う親のやり方を安易に責めていいものではないのも、わかってくる。
その点において、多少、私の視野は広がった気がするな、やらないと、わからないものってあるんですよ。