自炊、雑談。

「ビンボーならば、自炊をすればいいのに」のエントリを読んで、
「家庭の主婦の「一人分なら買えばいい」という考え方は一人暮らしの人間には有効じゃない」の言葉に考えさせられた。
ちょうど、同じようなことを一人暮らしの娘に言ったことがあるし。
でもブクマでも指摘されていた「時間がなければ、自炊は苦痛」「ビンボー、暇なし」が一番よくわかるのは「主婦」だったりするのだよ、
よくある笑えない話は、食品製造のパートに出ている人が帰ってきたらくたくたで子どもたちに手作りのものを作ってやれなかったりして、
それで、パートを辞める人もいたりする、「本末転倒だ」と。「辞められる」人は、だけど。
私が上の娘に「忙しかったら自炊しなくてもいいんだよ」と薦めたのは、通う大学は勉強が大変で、
特にテストシーズンになるとパニック状態になるのをしっていたからだ。
娘は前期試験の結果が自分で納得できないものだったらしく、悔し涙を流していたが後期試験では「自炊」にかけられる時間を全て省いて満足する結果を得た。
娘が選んだコースは「朝ごはん以外を全て外で済ませる」で、「洗い物がない」「ゴミが出ない」「帰って寝るだけ」は「確かに楽だった」と、
ただ、「そういう生活って、、だめな人間のすることなんじゃないの?」の葛藤はあったらしい。
生活するとは、自身の思いこみを丹念に解きほぐしていかに快適に過ごすかと日々努力することで、「自炊」すらも苦痛になる状態で、
それでも自炊はしなければならない、となると、生きることすら苦痛になる。
「ビンボー過ぎて、自炊も出来ない」というのはある意味納得できることでもあって、それは「ビンボー過ぎて子供も作れない」によく似ている。
ただ、どれほどビンボーであっても、子どもを作りたい人はつくってしまうし、どれほどヒマがなくても自炊する人はするし、
要はそれが「好き」かどうか、ってことで、好きなことが好きでいられる程度に余裕を持ちたいものだなあ、と願う。
娘はそれでも出来る限り「自炊」を試みていて、失敗も多いようだけど、自炊の極意とは、失敗することなのだよ、
一人暮らしを楽しんで、そしていつか二人暮らし、3人暮らし、4人暮らしくらいに広げていければいいね。
慣れていけば、一人作るも二人作るも同じことに思えてきたりして。実はそれは「錯覚」だけど。
でもそういう「錯覚」があるからこそ、人は幸せになれるのだろうね。
しかし、ネットで「自炊」と言えば一時期問題になっていた著作権問題を思い出す、どうなったんだったっけ、、、