「世間」、、、

「かけそば」話で私が抱いた感想とタモリの感想は同じだったんだなあ、、今ごろになって知ったわ、妙なことをネットは教えてくれるもんだ。
ま、同じことを考えた人が多かったから、タモリの話がそれなりに支持され、今でも残ってるってことなんだろう、
でも「誰か」が言わないと「誰も」言わない、「誰か」にはなかなかなりづらい。「タモリ」なら言えた、ってところか。
後日談も初めて知った、調べる人がいたんだなあ、、、本になる前に調べておけよ、と言う気もするが、デタラメな人が本を出すのは今も昔も変わらんな。
そういえば、娘に「一杯のかけそば」の内容をたずねられたことを、以前、娘と同じ年の子供を持つ友達に話したら、
「私、あれ1度も読んだことないわ」と苦々しい顔をされ、
「職場にイヤな女がいて、その女がやたらと「一杯のかけそばっていいよねー」って、それを読んでないヤツは「人非人」みたいな。
だから、読んでないわ。むかついたから。」
なるほど、それを「読んだ」かどうか、「泣けた」かどうか、が「踏み絵」になってたんだな、そりゃ、読む気なくすわ。
「イヤなヤツ」が「好き」と言ったら、もう「終了」って、よくわかるわぁ、、それが世界を狭くするんだけど、自分の身を守る「楯」にもなる。
世界はそれほど広くなくても困らないってことかも。
その「かけそば」話好きの女は、その後「自分探し」に海外に出て行ったとか。なんか、「バブル」特有の匂いがするなあ、、
友達曰く「「スキルアップのために海外へ」とかって、職場でとんでもないことをやりまくって、にっちもさっちもいかなくなったヤツが突然言い出すこと」と、
そういう時代にわたしたちは生きてきたなあ、、、
考えてみると「若者の内向き志向」はあながち責めるような種類のものではないのかも、マジメに世間を渡ってるってことだもの。
当時「若者なら誰でもが知ってるはず!」なことを、わたしは知らなかったりする、「タモリ」の話もそう、たぶん、私の周りの人間も知らない。
忙しいと、知らないでいることは多くなるんだよな、、今はネットがあるから、そうでもないんだろうか?
ネットは奇妙な亡霊を掘り出すものだ。「かけそば」の後日談と「フランダースの犬」の裏話はどこかでつながっている気がする、「人間」だもの、、(涙)