雑記。

先日、上の娘が「大学の友達に「働いている友達がいる」と話したら、ものすごく驚かれて、
「商業高校を卒業して就職したんだよ」って言うと「商業高校って何?」って言われて、私はそれに驚いちゃった」と
娘曰く「みんな、「商業高校」や「工業高校」が「ある」って言うのを知らないの、知ってても、すごく悪い子が行くところ、みたいに思ってる」と、
娘のまわりにいる学生はほとんどが中高一貫校出身なので、なるほど、「高校受験」をしないとはさまざまな高校の存在を知る機会を失うことでもあるのだな、と妙に感心してしまった。
教育方針と言うほどではないけれど、わたしは子どもに自分とは違う世界に生きる人間を出来る限り見て知って欲しかったので、
あえて私の母校でもある荒れた公立中学に通わせたのだけれど、それでよかったのか?と迷うことが多々あって、
でも娘の「私は、商業高校出身の友達がいるから、「商業科」が、すごく悪い子が行くところみたいに思わなくてよかった」
と、自分の実際に知っていることを「よかった」と認められる発言に、心が温まった。
いつだったか「上をめざせる人間は下のことなんか知ってたってしかたがない」という超現実派の意見を耳にしたことがあって、
それも一理あるなあ、と胸にひっかかっていて、それでも娘の言葉は力強く私に響いて、娘はどこででもやっていける、
それが一番大切なことだ、と、だからこそ、少しでもいい環境に、と言う意見ももっともだけれど、
私の中ではうまく理由はいえないけれど、それは「何か」が違う、その「何か」が私にはまだよくわからない。
「何か」というのは「育てる」という引き返せない道を「言い訳」するための理由なのかもしれない。
それでも、私はその「何か」が「なに」であったか、いつか知りたい。
他人にとっては「自己満足」と呼ばれるものであったとしても。