メモ。

世間は3連休のようだけど、部活にバンドに、と忙しい下のお嬢さまの都合で変わらぬ日常。
部活では、1年生でただ一人大会に出る、意外に成績がいいらしい、
「やるときは、やる」と、お勉強もがんばってぇ、、、(涙)
両家の父はともに退院、とりあえずほっとしたが、実家父はこの先何度入退院をくり返していくことか。
私はそれを最後まで見るんだろうな、そういう回り合わせになっているのだろう。
子どもたちの受験中、ずっと寝かしてあったP.D.ジェイムズの「神学校の死」を読み始める。
やっぱり、ええわぁー、アダム・ダルグリッシュ、しかし登場から何年たったことか、
登場当時は第2次大戦後すぐで、電話も呼び出し式だったのに、今は「携帯」があったりする。
長いシリーズものはどの辺でつじつまを合わせるべきか、チャーリー・マフィンシリーズって、まだ続いてたっけ?
アダム・ダルグリッシュシリーズで、ふと思い出したのが、「策謀と欲望」、
これにイングランド原発が舞台として出てくる。そうか、イングランドにも原発があるのか、と読んだとき驚いた。
1989年に書かれた作品だから、今から22年前か。やはり海辺に原発はあるんだよね、、、
この「策謀と欲望」は初期の傑作「ナイチンゲールの屍衣」「女には向かない職業」以来、「死の味」と並ぶ傑作だ。
P.D.ジェイムズのような人は原子力をどうとらえていたか、最終部分を抜き書きしておこう。
「岬の小高い隆起に来てふり返ると、北に原子力発電所が見えた。メグには異様に美しいキノコ雲のイメージと切り離せない、
審美的で強大な力のシンボルだった。同時に○○を殺人に導いた知的精神的傲慢の象徴でもあった。
メグはふと岬に恐ろしい警報を伝える地球最後のサイレンの響きを聞いたような気がした。」
と、いうことだ。
昨日、ダーリンが荒川弘の「銀の匙」と高橋留美子傑作集「運命の鳥」を買ってきた。高橋留美子はすごいなあ、、
荒川弘は「百姓貴族」の続刊を希望、「銀の匙」もおもしろいけど、少年漫画の王道テイストだなあ、、、
今朝の朝日新聞で紹介されていた「子どものころの思い出は本物か 記憶に裏切られるとき カール・サーバー著」
これはおもしろそうだ。保坂正康の評によると
「幼年期の記憶はいつから始まり、それが正確か否か、科学的に解明しようとの論点。
もうひとつは幼年期の記憶をよみがえらせ、それを元に訴訟(主に性的虐待)に持ち込むことを奨励する心理療法家たちの暴走を批判する論点だ。
とくに後者についてはこの20年余に顕著になり、彼らは一様に記憶回復療法を採るがそれは統一性も高度の知的裏づけもない危険な療法との見方が示されている」
「その種の裁判事例では記憶のみが証拠となることの難しさゆえ、無実の者がかなり多く獄に収容されているという。」
これは、わたしはとくにネットなどを読んでいて、不審に思ったことでもある。
あまりにもおかしな「心理療法」の罠を子どもを育ててきたが故に感じている。
よくわかりもしないことを思いこみの激しい人間が「こうに違いない!」と決め付けて、見知らぬ相手を断罪する。
やっている人間は「正義の側にたっている!」とナルシシズムの頂点にあるのだろうが、まったくの的ハズレは危険そのものでしかない。
しかし、どれほど、それが「正義」としてまかり通っているものか。
この本は忘れずに読むことにしよう。