「結婚は、顔と金の交換」なんて、「嘘」ですよ。

小倉千加子の「結婚の条件」はよくジェンダーを取り上げるあちらこちらの引用に用いられるが、
その中でももっとも有名な「結婚は、金と顔との交換」が、私には腑に落ちない。
本当に経済的に成功した男の結婚が「金と顔の交換」であったことがあっただろうか?
私が知る限り、一見、女性の「私の「美貌」は金で買われたの」的に「見える」カップルは、
実は女性側の出身階層が、収入の多い男性の出身階層よりもはるかに高いことが多い。
むしろ、高収入を得る男性が「金」で買われた、に近いのだが、
「結婚」に関して「階層」を考えなくてはいけないと、どこかでふれていた小倉千加子をしてすら、
そのことが見抜けていないのが、実に不思議でもある。
以前、「お金持ちの「妻」研究」という、まったくみもふたもない本を読んだことがあり、
それによると、金持ちの妻で本当に「玉の輿」的なカップルは、ほとんど「ない」に等しかった、
つまり、経済力のある男性は思われているほど「顔」を「金」で買ってはいない、
そりゃあ、そうだろう、安定しない「顔だけ」なんてものに「投資」する男が経済的「勝ち組」に生き残れるとは私は思えない。
配偶者選びにすら手を抜かない、と言う点で、私はこの手の成功者たちに賞賛を惜しまない、
そしてまた、成功「し続ける」難しさに思いをはせたりするのだけれど、それはまた、別の話。
ジェンダーの話に戻せば、男性の経済的成功者の結婚とは「金と顔の交換」などと言うぬるいものではなく、
「顔」+α、と言うか「α」を隠すための女の「顔」、と考えた方が正確ではないか、
つまり、男性側が女の「顔」に「惚れました」の「看板」をあげていた方が、世間的に「見栄えがいい」。
私が思うに、男の経済的成功の条件とは、その配偶者の出身家庭からの援助がほぼ不可欠で、
それでいながらその援助を見えないように工夫する、その時、女の「顔」は「楯」になる、
それだけのことをフェミニストは見ていないのだなあ、と、
というよりは、経済的成功者の結婚をあまり知らないのではないか、その内側からよく見たことがないのではないか、
結局、日本では「階層」というものが驚くほど見えない工夫がされていて、それに乗った上でしか物事を見ることしかできない。
そして「ステキな結婚」を夢見る女性は「金」で買われるはずの「美しい顔」を求めて、自分磨きに奔走するわけだが、
そうした女性が果たして素晴らしき「玉の輿婚」に乗れたかどうか、
私の知っている経済的に恵まれた夫婦とは、大体、夫婦共に出身階層が同程度、
或いは、女性側が「上」(だけど、男性には経済力あり)ばかりで、
「私はこの顔と体で経済力のある男をゲットしました!」的な女性にお目にかかったことはない。
女性側の「見栄」でそう「見せている」人は知っているのだけれどね。
大いなる誤解を「ネタ」にして、積み上げられていく推論は時折なんとも空しくて、
そこそこの社会生活を送っているのであれば、とっくに見えているはずのことが見えていない人が
自分の思いこみを巧みなフレーズに変え、その普及に努力する、「フェミニスト」によって男の世界は守られる。
男がその金を稼ぐ才を「女」側の経済力、またそのバックグラウンドに「買われた」なんて他人から思われないためにも
「結婚は「顔と金の交換」としておいた方が「男のプライド」は守られる、男のプライドのため、女の「見栄」も利用される、
そういう仕組みをはっきりと暴くフェミニストが現れないものか、と期待するけれど、無理なようだなあ。
なんか、大いばりで「顔と金の交換」というフレーズを持ち出しているところを見て哀しくなったので、とりあえず書いておく。