デジタルネイティブ・覚え書き(?)

琥珀氏が電子書籍の本にふれているのを読んで思い出したことを。
我が家のデジタルネイティブが「高3になって、受験ばかりでお先真っ暗」とある日言ったので
大学に入ったら、テレビで話題になっている「スマートフォン」の最新式を買ってあげるから、と慰めるつもりでいうと、
「いらない、スマートフォンなんて喜んで買ってるのは年寄りばかり」と言いかえされて、
なんたることか!(って、前に書いたな)と思ったんだけど、彼女曰く、
スマートフォンが本当に必要な人ってそんなにたくさんいるのかな、いつもどこかの誰かとつながる機能なんて必要?」
「携帯に私たちが求めているのは主にメール機能で、スマートフォンは画面で操作しないといけないから、早くメールが打てない」
「友達でもスマートフォンを持っている人もいるけど「使いにくい」って不評だよ、片手では打てないし」
「ボタンの感触、って大事なんだよ、わかってないなあ」
ついでに「私たちはツイッターも多分しないよ、なんの意味があるのかわからないし」などと、
我が子の父親は「マイコン」時代から部品を組み立てていた人なので、この子も幼児期からマックでお絵かき遊びを楽しんで育って、
今やパソコン自体やソフトの扱いは、父親を抜いてこの子が一番詳しいはずなのに
世間で喧伝される「ネットを通じた明るい未来」なるものには冷ややかだったりする。
「「手のひらに世界」なんて、「ない」」と、「出来る人はいるんだろうけど、そんな人ばかりじゃないでしょ」って、
自分がそうなる、とは思ってもいないんだよな、やはり世界は広くて、これから踏み出して歩いていかなければいけないのだと、
案外「感覚」的に「アナログ」であったりして、
つまり、ネットやパソコンは、電話やテレビみたいなものでしかない、かつて、テレビや固定電話は「新しい時代」の希望に充ち満ちたものであった、
と、それが当たり前にあった世代の私は親から聞いていたわけだけど、実際、それがあったから世界がどうなったか、と言うと、
まあ、基本的に人間の営みってそうそう変わるものじゃないものね、「便利」にはなったけど、「無限の可能性」ではなかった、
親世代がそこそこネットやパソコンを使えて「デジタルネイティブ」の名称を与えられている子どもが「ネイティブ」である所以とは
その便利さが「当然」である、と同時に過度な期待は抱かない、そういうもんなんだろうな。
またボタンの「感触」が「大事」と言う、
だから、今発売延期になっているけど、出たら即買う!と父親が公言している「アイパッド」にも
「なんですぐ買うかなあ、マックは安定してないじゃない、出てすぐ買ったママのiPodも何回か壊れたじゃない」
「もうちょっと待って買ったら?」なんて、まあ、あなたの父親は、AirMacが出たら即買い、iBookが出たら即買い、の人だからねえ、、、
「だから学校でウインドウズ使うの、大変だったよ、うちだけだったよ、マックが家にあったの」と、
なんか、デジタルネイティブの現在を書くつもりが、子どもに責められているバカ親のグチになってしまったな、、、、とほほ。
つまりデジタルネイティブは私世代よりはるかに賢明で冷静で、意外に「感触」を大事にしてるから「電子書籍」にも懐疑的、
と、とりあえず書き残しておこう。
ま、なんのかんの言って「スマートフォン」も大学に入ったら「欲しい」と言い出すかもしれないしね、
以前「○ャス・キッドソンなんておばさん臭い」と言ってたのに、
何かの機会に「かわいい」と思いはじめて「やっぱり買ってぇ」と言い出す「若者」だからな。
「ネイティブ・ナンバー2」の下の子の話はまた後日、「性格」の違いで、受け止め方はそれぞれ、です。