雑記。

「もてる」という言葉の意味を時々考えることがある。
世間一般では、「もてる」と「思われたい人」が多くて、本当の意味で「もてる」人は少ない、が私の考えだったが
好きな人に確実に好かれる、と言うのが「もてる」という意味ではないとすると、
「もてる」と「思われたい」がために、どんなことでもする人が「もてる」であるのかもしれないなあ。
「愛」の価値は低くなったもんだ。
最近の騒ぎの「被害者叩き」で、ふと思い出したのが先日のネットを使った婚活詐欺事件、
殺人かどうかわからないが、ネットでは亡くなった方に対しても「自衛」を説いている人もいたりして、
いや、結婚詐欺に引っかかっても、命まで奪われることは「まれ」だから、自衛なんか言ってもな、と、
強姦事件と同じく、結婚詐欺もやはり「恥ずかしい」が先に立って、なかなか表に立たない事件なんだろうとも思った。
この事件は、まだ殺人罪が成立するかどうか全くわからないものの、加害者報道が極端なのが強く印象に残る。
週刊誌の見出しでは、婚活詐欺女があまり見栄えのいい方ではない、どちらかと言えば肥満体であったことをあげて
「何故、こんな太めの女がもてる?」などと、
はて、相手の男性の優しさにつけ込んで、その弱さを利用することを「もてる」と称するのかどうか、と思ったが、
ついこの間、中村うさぎさんの「芸のためなら亭主も泣かす」で
「接客業とは、客の欲望に奉仕する職業である。そういう意味では、水商売も風俗業もホテルマンの仕事も、大まかには同じことだ。
ただ、相手の欲望の種類が違うだけである」
「客が風俗嬢に求める欲望よりも、水商売に求める欲望の方がずっとずっと複雑で、しかも多岐にわたるものだからだ。
それは客の「性的幻想」ではなく「自意識の幻想」であるだけに、脚本人にも明確に把握しきれていない部分であり、
それを正しく読み解く能力を持つものなんて、実は千人に一人くらいしかいないのではないか」と読んで、
なるほど、相手を読み解く「人間読解力(中村さんの言葉)」の優れた人が人から求められる、と考えれば、
「もてる」=「求められる」とは、「容姿ではない」の答えになるのだろうな。
詐欺に引っかかる人に「自衛」を言っても、これだけ巧妙に人に取り入る術を身につけている人にたまたま巡り会ってしまえば
「自分だけは大丈夫」なんて思っている人でもひとたまりもないだろうなあ、など、
同じく、どんな格好をしていたとしても巧妙に強姦を計画する人間に出会ってしまっては、「自衛」なんてなんの意味もない、
世の中にはこわい人もいる、とそれを知らないらしい無邪気な「自衛」派が、少々うらやましかったりして。
世間知らずのままでも生きていける、世の中はまだまだやさしい、などと思う今日この頃。
中村うさぎさんのエッセーを久々に読んで、やはり面白かった。
昨日、石川遼君のスタイルを見て子どもたちが「マリオだ!マリオだ!」と騒ぐ。「帽子を取ったら還暦祝い」など、まったく。