雑談。

福島みずほさんの本の内容を紹介されているところを読んで、無難な内容だなと、でも声を上げるときは「極」を目指さないと目立たないんだよね、、
しかし、ネットでの福島みずほさんの叩かれぶりは酷いなあ、わりと一貫した生き方をしている人だと思うけど。
お子さんがいても、「事実婚」じゃなかったかな、
あの年代で、子どもを産む意思があって、実際、産んだのに事実婚を選ぶのは勇気があるんじゃないか。
私は「離婚相談」のコラムが好きだったので、今でも嫌いではない。
でもネットでそれを書くと「福島みずほが好きな女、かっこ笑い」になるんだよね。
これは「上野千鶴子」でも、「勝間和代」でも「吉本ばなな」でもそう、
なんでそうすぐに他人をバカにしたがるんだろうな、そういう自分自身に向き合うことが出来ない人間にバカにされるいわれはないわ。
「自分は知性派」と自認している人がそれをやってたりすると、あーあ、ってかんじ、
「知性」も一種の「装飾」でしかないんだろうな、とうんざりする。
他人を斜め上から見下すことでしか自分自身の優位を確かめられないのなら、その優位になんの意味もないな。
つか、結局「見たいものしか見ていない」んだよな、
こういう人は何を読んでも、なにをみてもなにもわかることがない、わかる能力に欠けているんだもの、仕方がないことか。
福島みずほさんの話に戻せば、私は離婚は決して女の傷ではない、の考え方を知ったことで、
かえって結婚を真面目に考えるようになった気がする。
女には「産まない選択」も「出来る」、それが「当然だ」の意識が浸透していくことで、「産む」意味がよりわかりやすくなるんじゃないか、
「産みたくない」理由を探さなくてすむだけでも、「産みたい」の意識も変わるように思う。意識改革がいちばん大事なことじゃないか。
で、福島さんがなにをどこまで出来るのか、私は生まれてこの方、ほとんど政治家に期待したことがないんで、
なにがあっても、なにがなくても驚かないけど、やはり、これから子供を持ちたい人によりよいことがあればいいな。
うちの子どもたちも将来、産みたいそうだし。子どもはやっぱり可愛いわ。
「何故」とたずねられるとやる気をなくす、の話も拾い読んで、あー、わかる、と、でも子どもについ「何故」と言ってしまうな、反省しなければ。
しかし、子どものあまりの行状に腰を抜かして、「心の叫び」として出ることがあるんだよな、「何故だー!」って、とほほ。
連休初日、これからまた行ったり来たり、日記の更新は滞る予定。