日常。

新聞広げていちいち腹を立ててるんではたまらん、最近の「癒し」は森見登美彦の「ぽんぽこ仮面」(いい加減にタイトルを覚えろ!)のみ。
北村薫宮部みゆきも途中で挫折してしまったが、この「聖なる怠け者の冒険」だけはずっと読み続けている、私にしてはめずらしい。
(しかし、今どうしてもタイトルが思い出せなかったので、むかいでパソコンやってる上の娘に聞いちゃったよ、とほほ)
文章のテンポがいいんだな、それから必ず一度は「くすり」と笑えてしまう、毎日、楽しみだ。
さて、「1968」をつらつらと。
以前、内田樹さんが「僕は左翼とフェミニストにいじめられた」(意訳は私)と読んで、
はて、世の中全て「はぁとかくてる」風味なバブル期に青春期を送るのと「自己批判せよ!」と迫られる青春時代と、どちらがマシだろう、
と考えたりしたが、まあ、どっちもどっちだな、なにがはやっていようと、私にはあんまり関係なかった気がする、同調圧力には吐き気がする。
しかし、なんでまた浅間山荘事件みたいなことになってしまったのやら、ずっと不思議で、「レッド」を読んでいるのもそういう理由で、
でも、あまりよくわかりそうにないな、1968年の若者のたわごとに、現在「中年」なせいか、それとも根本的に性格が違うのか、時代が違うのか
「むか」が入ってしまう、「甘えてんじゃねーよ!」なんて、私のDNAのどこかに「ヤンキー魂」があるようだ。
「エリートになれる、エリートだと思ってた、でも違う」で右往左往してしまう、
自分がなにを求めているのかがわからない、だから「政治」に走った、みたいな。
なんなんだよ、それは、とか、本の内容とは関係ないところで腹が立つ。
私が若いときにさんざん「俺が若いときはもっと骨があった、学生運動があったからな」みたいなことを言ってた世代を思い出して、
「自分探し」のかたちが違ってただけじゃん、へっ、とかって一人でむかむかする私、、、
当時、将来、「いまどきの若いモンは、、」なんて絶対言わない「大人」になろう、と心に誓った。
その昔、ゲバ棒を持ってた人が、私と同世代だったら、アホなプールバーでイタリアンスーツを着ることに命をかけてたんだろう、と思ったり。
そう思わせることが今回の本の狙いなのかな?違うか。
2章の冒頭には、三浦展の引用があって、そのせいか、お下劣の神様が降りてきたのかと思うような、下世話な内容も真剣に取り上げられている。
バリケードの中の乱れた性」みたいなのが巷では話題になったとか、でも現実はそうでもなかったようだと、
そうだろうな、昔も今もマスコミの下世話さはかわらない、これは「伝統芸能」なんだろう。
三浦展に至るまで、あまりに小熊さんは緻密にあれこれ調べられていて、感心するというか、あきれるというか。
読み終えたら、なにが見えてくるのか、まだわからない。「1968」は続くよ、どこまでも。
昨日は下の子の面談だった、「本当に平和な、問題のない、幸せなお嬢さんで」とほめていただく。
今回の担任の先生は下の子と相性がいい、私と同世代の、落ち着いた先生だ。
中1の時の先生はとにかく「お姉ちゃんは、お姉ちゃんは」で毎回、成績のいい上の子の話になって困った、
今回、その手の話題は一切出ず。上の子もお世話になったことがあるんだけれども、あえて「出さない」良識に感謝。
明日は大規模な練成会と上の子の面談。行ったり来たりになる、とほほ。