雑談。

東国原宮崎県知事、「総裁選候補にしてくれるんだったら、考える」と、わー、がんばれー、そのまんま東ー!!
知事を辞める気はない、と言うことなんじゃないのかな。知事として人気があるから、「国会議員にしてやるよ」は「違うだろ」 って、
これでもし本当に総裁候補になったらすごいなあ、この国の行く末をしみじみ憂うわ。
と言っても、あまり悲観はしない、子どもを育てているしね。「未来に希望はあるか?」と問われたら、私は「ある」という方だ。
子どもを取り巻く世界は否定的な言葉が多くて、特にものを深く考える上の娘には新聞を読ませるのが気の毒になることがある。
世界にもう希望はないかのようなことしか書いていない、いっそ産経新聞にでも変えようかと思ってしまうわ、「ま、産経だしな」ですませられるし。
でも、私が若かったころ、未来はまるでバラ色であるかのように世界は描かれていたが(バブルだったしな)
その「バラ色の未来」が自殺者最多の「現在」だからね、当時の私は「未来」を信じていなかったが、信じていないでよかったわ、落差に絶望する。
未来のことは誰にもわからない、それほど暗くない将来が待ってるかもしれない、
本当に暗かったとしても覚悟を固めさせられてるんだから、「こんなもんだろ」ですませられるかもね。
ネットのお気に入りの方のところで、「私はもう二人のママなんだから、ちゃんと二人分のママをしなきゃ」の言葉に出会う。
「二人分のママ」とはいい言葉だなあ、下の子がおなかにいたときに、友達に言われた言葉を思い出した。
たった一人の子どもでさえ、ちゃんと育てられているか、また十分に愛情を注げているかどうか、不安で、
「私が持っている子供に向ける愛情が更に半分に減る気がする」と、3人の子どものいる友達に話すと、
「愛情は増えるんだよ、一人子供が増えたら、そのぶん、愛情も増えるの」と、さらっといわれた。そして、本当にそのとおりだった。
愛情は元から用意されて限界があるのかと思ったら、そうではなく、対象が増えると、際限なく増えていく。
色々あっても、「二人分のママ」の愛情があるから大丈夫、体は一つだけどね、だから無理はしない。
私が「二人分のママ」の意識をちゃんと持っているかどうか、未だに「あちらを立てればこちらが立たず」状態なことを思えばいやはや。
子どもは日々成長して変わっていく、求められることも、関係も、だから親としては求められたときに全てに答えられるよう「焦る」けど
答え損ねた落としてきた大切な「何か」は、また拾い上げる機会もあるだろう、本当に「大切」であるならば。
ところで最近、ちょろっと「介護」の世界に足を踏み入れて、「介護」の世界も「育児」と同じく「家庭間格差」があるなあ、と思うのだった。
「育児」と「介護」って似ているわぁ、、、