おもいでばなし。

京教大の事件は被害者が告訴取り下げ。こうなるんじゃないかな、と思ってたらやはりそうなったんだなあ、と。
沖縄の少女暴行事件の時もそうだったなあ、
そして被害者は更に叩かれる、「金目当てだった」、「藪の中」とか。
同じ大学に通う学生が加害者たちで、彼らには教育関係者である親がいて、この先お世話になる大学の先生もその加害者たちを知っていて、
となると、自分の将来を考えれば、これ以上傷つかないようにするためにこうするしかない、と考えたのは仕方がないな。
裁判でだってイヤな思いをする、ネットで知って驚愕したが、今度裁判員制度が出来て、性犯罪の被害者の名前を裁判員候補に公表するとか、
パソコンの前で「そりゃ違うだろっ!」と叫んでしまいそうになったよ、
被害者に「この中に知っている人がいるか」と、裁判員の名前を見せればすむことじゃないか。全く被害者のプライバシーはどうなってるんだ?
しみじみ「お役所仕事」と思ったわ。被害者の心なんてどうでもいいんだよなあ、
なかなか訴え出られないのは当然のことだろう、強姦被害を訴えて4日後に自殺した女性のことを考えれば、訴えても「地獄」が続く、と
迷いに迷って、やっと訴えて、それでも「証拠」の有無や裁判で加害者側の弁護士「たち」から傷つけられる可能性を考えれば
結局、やられた人間は我慢していろ、と言うことなのか、本当に情けなくなる。
話は変わるが、ネットで輪姦について、それをする男たちに同性愛的な傾向が感じ取れると書いているのを読んで、腑に落ちた。
女性を自分の性欲の犠牲に貶めることには「儀式」めいた意味がありそうだと思っていたが、そういう見方もあるか、と
以前、「彼女がいてもいいの、好きだから抱いて!」といった知り合いの女の子はやたらとその相手の「彼女」の動向を気にしてたのを思い出した。
「相手」とその「彼女」は二人とも私のサークルの憧れの先輩カップルで私を通じて知り合いはその二人に出会ったので、
私はわけのわからない関係に無理矢理巻き込まれて四苦八苦した。
まさかあんなベストカップルの男性に猛アタックをする女がいるとは私は想像することも出来なかったなあ、
で、見事「関係」が成立した後、それを意気揚々と私に「報告」し、「彼女」がどうしているのか、私にしつこく聞いてきて、
事細かく、「こんなことをした、あんなことを言った」と、私から「彼女」に「関係」を持っていることが伝わるように画策する、
その時の「彼女」の「反応」を想像してひそかに喜んでいるらしかった知り合いは、
相手の男とセックスするとき、一番意識しているのは「彼女」なんだろう、と、全くぞっとさせられた。
自分の「性」の対象を「共有」するとは、男女ともに「同性愛」的な傾向があるのかもしれないな。
私の口からその関係が「彼女」に伝わることはなく、その知り合いは自分から「彼女」にそのことを伝えた。
二人から可愛がられている後輩であった私もそのことを知っている、など
「彼女」は無茶苦茶ななじられ方をして、酷く傷つけられ、私は知っていたのに、「彼女」に言わなかったことを責められる、と思ったが、
その「彼女」は「イヤな思いをさせてごめんね」とだけ言って、
私だったら「裏切られた」と思いこんでしまうところだな、やさしい人が世の中にはいるもんだ、と感動した。
「彼女」であった先輩とは今でもつきあいがある。先輩は大学卒業後、同じサークルの別な男性と突然結婚した。
去年、20年以上たってやっと、「今の人と結婚して本当によかった、あの人と結婚しなくてよかったと思った」と話して
可愛い子どもに恵まれて、幸せにしていたのに、やはりその時の痛みをずっと持っていたのを初めて知って哀しくなった。
理不尽に傷つけられた側の方が長く記憶を抱える、何とも言えないはなしだ。
学生時代は色々あるわ。また、「性」というのは複雑怪奇なモノであるなあ。
集団強姦被害者の方の痛みがいつか癒えるのを心から願う。やるせない。