雑記。

「愛」って言葉を思い出すと、何故か「愛だろっ、愛」ってコピーが浮かぶ、はて、あれはなんのCMだったか。
「愛」と言えば、「愛という名の下に」だの「あーれも「愛」、これも「愛」、多分「愛」、きっと「愛」」だのが出てくるこの年齢よ。
「愛」で「許される」話をどれほど見てきたことか、年をとるって悲惨ね。
「京教」のレイプ話にうんざり、それが「教育者」を育てる学校のやり方か、「泣き寝入り、オッケー」と、「多数決」で「誰が悪い」か決めたんだな、
まー、なんて「民主主義」、もっとも、これは教員養成学校で行われているだけのことじゃないけど。
ネットでも人を集めた方が「勝ち」ってことはあるな、「ブクマ数」が多いとか、いやはや、なものをよく見る。
人を集めることで「勝ち負け」が決まるんだったら、ケータイ小説だの、「ハーレクイン」だのは究極の名作だよなあ。
ある意味、そうなんだろうと思うが。でも私は評価しない。「好き」ではないからな。
最近、キレたニュースは、父親と風呂に入りに来た幼女二人の裸を姑息な手段でケータイに納めようとした男の話、
父親に見とがめられて発覚、とか。こういう男は思いっきりボコっていいと思うわ、お父ちゃん、よくやった。
転勤族時代、私の体調が悪いと、時間があれば、ダーリンが子どもたちを連れて銭湯に連れて行くことがあった。
当然、「男風呂」に入る、まだ幼かったので「お父ちゃんが連れきた娘」と、寛容に見逃されていたらしい。
それが今では「ケータイ」で「激写」かよっ!!!ケータイ激写バカ男は、京教の連中共々、「死ねばいいのに」、と心から思う。
「男風呂」に父親が女の子を連れてはいるのが「悪い」か、飲み会に行く女の子が悪いか、
未成年が先輩に勧められて断り切れずに「飲まされる」のが「悪い」か、「レイプ」はただの「おふざけ」か、
「合意だった」って、おまえの「愛」はセックスするほど好きな人のその肉体を別の人と「共有」することか!!
「彼女がいても好きだから抱いて」が不愉快なのは、その「好きな人」の「体」を誰かと「共有」するのを容認することで、
その愛する人の「存在」を「もの」に変える点だ、それは「愛」とは言わない、と、今気がついた。
「もの」への「執着心」を「愛」と置き換える人が存在すること、「人」を「もの」と認識してはばからない人がいること、
この世に起こる事件の全てがそこにある気もする。
「京教」ニュースは、もうすぐ大学生になるだろう娘を持つ身としてはやりきれない、「コンパ」の雰囲気を私も知ってるし。
もっと、平和なことが書きたいなあ。明日はそれを心がけよう。