ぐち。

「希望は、戦争」の子が書いたものを読んで、日本では、「子ども」は「生物」にすら認識されてないんだなあ、と
ブコメのタワーでは、「バカどもが、たばこの一言で吹き上がってる、かっこ笑い」な意見があったりして、
子どもは「生き物」ですからね、「たばこ」みたいな「無生物」扱いするのは人間としてどうかと思うのは、「バカ」が「吹き上がってる」だけですかね。
「子どもは嗜好品、育てるのは自己責任」みたいに書いている人間もいたりして、あら、社会にとっては「再生産」が「お約束」のはず、
子どものいない人間は、「燃えないゴミ」扱いでいいってことかしら、「社会的責任」をとってないわけだものねえ、、、
こんな風に「人間」であるはずの「子ども」を嗜好「品」扱いするってことは、自分もまた「モノ」の自覚があるはずなんだけど、
そうは思えないんだよな、自分「だけ」は「人間」と、思っているらしい。
私は「希望は戦争」の頃から、彼は嫌い、言ってることがこの時代にはあぶなかしいから。
「若者は国を守りたがっている、希望は戦争だなんて言ってるじゃないかー!」って自分たちに都合のいい言葉だけを切り取って
平気でお偉いさんは利用してくれそうだし。そんなやり方は、しょっちゅう目にしてるでしょ。
もし、「希望」通りに「戦争」になったとして、その戦争に行かされるのは、彼のような30すぎたくたびれた人間ではない、
二十歳前後の「ぴちぴち」の若者、つまり、今、「嗜好品」扱いされてる「子ども」世代ってこと、
「戦争時に「子ども」みたいな嗜好品を大事にするとは何事かー!」って、大事に「自己責任」で育てても、
取り上げられるときは「嗜好品=贅沢」と見なされて、ゴミのように使い捨てされるんだろう、この世の全ての戦争がそうであるように。
子供を作るのは損だ!と考える人が少なからずいて、そういう人が自分の視界に入る子連れを副流煙のごとくに迷惑がる。
それに耐えてでも、子どもを「まとも」に育てろ、「自己責任」だろ、って、社会全体が子連れを「虐待」してるよなあ、、、、
真面目に子どもを育てようと「専業主婦」になったところで「専業主婦はゴミ」扱いだし、
子どもがよろよろ大人になっても、この手の人は「最近の若者は、、」と邪険にあつかうんだろう。
なんと、すばらしき世界に私たちは生きていることか、「寛容」ではなく「狭量」で削られていくこのうるわしき世界。
子どもは「邪魔」で「迷惑」な「モノ」、いやはや、人間の鋭敏な感覚はここまで到達しましたか。
「ロスジェネ」と呼ばれる世代には確かに同情の余地があるとは思う。
子供の頃に「バブル」を経験して、ありもしない夢のような「未来」を信じさせられて、
それが、大人になったとき、そこにあったのは「約束」された、と信じたすばらしい「未来」ではなく、荒涼たる世界、
「生きる」ために「年寄り」は「目障り」、「子ども」は「邪魔」とかみつく気持ちはわからないでもない。
でも、今の子どもたちは産まれたときから「不況」しか知らずに育っている。
私なんかついこの間、高校生の娘に「好景気ってどんなこと?」と聞かれたよ、「景気がいい」なんて言葉すら知らないもの、
そういう子どもが遠慮がちに育って、大人になったとき、今、子どもを邪険に扱っている世代は「年寄り」になる。
私は私の子ども世代が、今「ロスジェネ」世代みたいに、上にも下にもかみつくとは思えない。
この過酷な世界で育った子どもには、「かみつく」発想がないと思うわ。「ロスジェネ」世代と違って、「あがく」ことすら知らない、
ゆとり教育」の最大の被害者たちは驚くほど、「やさしい」。
「モノ」扱いした「子ども」たちが、年をとった「ロスジェネ」世代を、穏やかに受け入れたとき、
かつて、彼らを「邪魔」だとしたことをどう思うんだろうなあ。その時、彼らに対して恥じ入る心を持っていて欲しいなあ。
私もたばこは吸わないが、特に敵視しているわけでもないし、「国家に貢献してます!」と「子育て」してるわけでもない。
ただ、「人」が産んだ子供を、せめて「生き物」扱いしてくれないか、と願う。「人間」なんだし、「生きて」いるから。
「子供を産んでごめんなさい」と世間にあやまり続けて子どもを育てて、もう16年たつ。
そんなに独身者や「こなし」は虐げられているのかな。むしろ、子連れに厳しい世の中である実感はあるんだけど。