雑記。

「すてき」、産経クオリティーとも言うべき記事を読む。
ベビーカーの年齢設定が変わることについて、こうも香ばしい記事が書けるとはこれを読んでむっとしない子育て世代はいないと思った。
ベビーカーは案外丈夫に作られていないようで、先日ニュースでは取っ手に荷物をかけたら「折れる」と、そんなヤワなとってで安全なのか、
取っ手に荷物をかけたくらいで折れる、ってなあ、、、、
元々赤ちゃんは荷物が多いものだし、外に出るのは用があるため、取っ手に荷物をかけるくらいは想定内じゃないのかな。
私もよくかけてたなあ、、幸いにして折れることはなかったけど。
ベビーカーはやむを得ず「乱暴」に、また「頻繁」に使うものなんだから丈夫で長持ちでなければ。
しかし、ベビーカーに乗ってくれるのも子供の性分があって、上の子は、比較的乗ってくれた方だったが、下の子は歩けるようになったと同時に
ベビーカーから「逃走」をはかる赤ん坊だった、車のベビーシートも同じく、いつの間にかするりとそこから抜け出る術を覚えて
にこにこしながら運転席にやってきて、初めてそれをされたときは驚愕のあまり急ブレーキを踏みそうになったよ、
「必殺縄抜けの術」をしないようにするためにどれほどの努力を要したか、、、(遠い目)
最終的にはそれをするとママの激怒を買う、を教え込んだ気がする、「危ない」なんて感性が赤ん坊にはないものね。
赤ちゃんの中には大きく産まれる子もいて、1歳児にして、よちよち歩きすらまだなのに、はや3歳児の貫禄、
そういう子をベビーカーに押し込まねばならないお母さんの苦悩をメーカーはあんまりわかってないような、
何でも一様に「これで」と、「標準サイズ」で決められたものばかりを与えられているのでは様々な事情に対応し切れていない。
でもこれはベビーカーサイズに限ったことではなく、赤ちゃんたちが大きくなって小学生、中学生、高校生になっても、同じ。
例えば「ゆとり教育」は理念として間違っていないけれど、現実の「受験」には対応していない、特に難関校では。
出て行く「社会」にしても、人間の「個性」をうけいれるようには出来ていない、だから「いらない個性」なんて言葉をなにげに出す人がいる。
いらない個性を持つ人間は、社会にいらない人間か、そんなことを考えた、
あれを書いた人は「あなたはいらない人間です」と言われたら、納得して死ねる人なんだろう、たいそうご立派。
本来「社会」は生きている人間に合わせるべきだと思うが、何故か人間が社会にあわせていかなければいけない。
これは不思議なことだよなあ、、社会は生きている人間ではないのに。
さて、上の子はインフルエンザから完全復活、下の子も既に微熱、若いと回復が早くていいわぁ、、
今度は私が腰に、、、ぎっくり腰のイヤな予感。