雑談。

今日は、「バレンタインイブ」。
本来なら、朝からバレンタインの「友チョコ」作りの下準備にいそしんでいるはずなんだが、
土曜日は学校がお休みなので、我が家では「友チョコデイ」は月曜日に延期、お友達もさすがに今日は外した模様、「13日の金曜日」だしね。
さっそく、昨日持ってきた子もいて、毎年、様々なご家庭の「手作りお菓子」には舌を巻く、
下の子が低学年時代から「友チョコ」を見てきたが、「お母さんがやりましたね?」なすばらしい「作品」が多々。
PTA役員活動でお顔を知っているお母さん方だから、「ああ、やっぱり、、」と納得するんだよな、こまめにされる方はラッピングもすごい。
友チョコ」がいつから始まったかは知らなくて、でも上の子が初めて通った田舎の小学校でも、やってる子はいた、
お母さんがおしゃれな人だったっけ、その学校ではかなり珍しいことだったなあ。
最近の小学校では「誕生日会」とかが「自粛」ムードで、何故かと言えば、クラスで「招かれない子がいるとかわいそう」と
確かにもっともなことなんだけど、やりたいお母さんたちは不満そうなんだな、「友チョコ」はその鬱憤晴らしのような。
何を「自粛」しても、「かわり」が必ず出てくる、「やりたい」人の気持ちは抑えてどうにかなるもんでもない。
私もはじめは遠慮しながら「友チョコ」につきあってきたけど、もう、あと数年だろうし「フルパワー」でやるか、って、もう本人たちがやってるんだな、
遅い!で、私は、材料を買うくらい。
しかし、この「友チョコ」流行の裏側でやはり、もらえない子とか、そう言うことにまで気がまわらないご家庭の子がいたりして、
去年のバレンタインにたまたま夕方に買い物に出ると、仕事帰りのお母さんにむずかっている小学生の女の子がいて、
「こんなのじゃない、もっときれいな、ちゃんと作ったの!」と、多分、お友達にもらったすばらしい手作りの「友チョコ」のお返しに
お母さんがチョコレートを選ばせてたんだろうけれど、その子は買って返すのはいやだったらしい、
疲れたお母さんの途方に暮れた顔が印象に残った。
「作って返す」のは大変なんだよね、、、特に、お菓子作りになれていないと。この「友チョコ」もいずれ問題視される気がする。
昨日、「こがいだん」兄ちゃんの「子供の貧困」の書評を読んで、同じ本を読んでも、私はこんな風には書けないなあ、と感心した。
私は読みながら、知っている母子家庭のいろいろを思い出して悲しくなった、この本に書かれている現実がいたいほどわかる。
子どもを育てるって、とにかくお金がかかる、公立小学校でも、「友チョコ」みたいなみんなが参加する「イベント」があったりして、
家庭の余裕の「ある」「なし」が浮き彫りにされる、「出来る」ご家庭の子は思う存分楽しめるけど、そうじゃないご家庭の子どもはどう思うか。
我が家の子どもたちは、この「手作りお菓子交換会」を「当たり前」のことと思ってるんだよなあ、、もらえない子、返せない子のことは見えていない。
私は母が仕事をしていたから、この手の「イベント」にはほとんど不参加で育った。
「お母さんの作ったお菓子」と無邪気に話す友達がうらやましかったなあ。
母もごくたまの休みに「パン」を作ったが、疲れていらいらしながら作るせいか、それがまた「まずく」て、「まずい」と言ったら怒るけど、
やはり「まずい」と言ってかんかんに叱られる私であった、、、思えば、それが私と母との「コミュニケーション」だったような。
この季節、私は甘いケーキやクッキーの匂いにとりまかれながら、ちょっとほろ苦い思いをする。
「出来ない」ご家庭や、お母さんのことを思うと「これでいいのか?」と自分に問いかけ、でも、「これでいいのだ!」と目をつぶる。
「親をする」のは「正しい」ことばかりじゃない、それが「親になる」と言うこと、そう開き直るしかない。
なんのかんの、あともう少しで子どもたちが終えるイベントだ、、それでもやはり複雑な思いにとらわれている。