日常にかえる。

今年はいいお正月だったなあ、、
年明け早々には、麻生総理には「字」を教えてもらうし。って、遅いな、昨日までの三日間が私の「お正月」だったんで。
「KY」な麻生総理同様、私も「廿」って「十」をつけそうになるクチ、へへへ、今回のでしっかり憶えましたわ、
現総理はさすが名家にお生まれにことだけあって達筆!と感心していたのに、やはり「漢字」は苦手なのよね、、、
おそらく、麻生総理の若かりし頃からその当時のご老人は「近頃の若いモンは漢字も読めない」とぼやいていたことでしょう。
そもそも「英語が話せる」って「漢字が出来ない」の言い訳なのかも、私も総理程度には英語力あるし。(誰でもか、とほほ)
麻生総理をみていると「理想の教育」を施されてもこんなモンだもの、庶民が地道にがんばれば結構いいところまでいけるかも、
そんな「希望の光」をみるんだよな。漢字が書けなくても読めなくても、総理大臣にまでなれる!って、それも「名家」に生まれれば、か。
月末に「女正月」をしましょう、の話があって、そのおつきあい界隈では子供の受験だなんだと騒がしいのにいいのかしら、と思いつつ、のる。
「女正月」は「小正月」とも呼ばれるらしく、確か1月15日のことを指すんだったと思うけど、これって面白い「いい方」だよなあ。
つまり元日は「男正月」、「大正月」か。
そう言えば「朔」は「男」しか台所に入ってはいけなかったとか、
「神様」への供物を「料理」するのは「男」でなければいけない、と聞いたことがある、なんで「神事」は「男」なんだろう、
で、その「補佐」の「巫女」が「女」。(それも「処女」じゃなきゃいけない、って、神様は差別主義者?)
この辺が、私にとって「神様」ごとを忌避したくなる理由かな。どうにも「うさんくささ」を覚える。
私の感覚では「表正月」「裏正月」がしっくり来るような、
玄関で構えて迎えなければいけない「お正月」と裏口から気安く入ってもらって楽しくわいわいやる「お正月」、
面倒くさい「おつきあい」は「表」でやってよね、私は「裏」で親しい人たちと好きにやってるし、みたいな。
この考え方は「ジェンダー」的に問題がありそうですな。「表」から入ってくる「神様」よりも「裏」から来る「神様」の方が好き、と言い換えておくかな。
「力」を持つ方は遠慮がちに「裏」からそっと入ってくださいませ、なんちゃって。
「神様」がいやなのは、時代によっては「政治」と絡められるから、
「神」と言う考え方そのものは人間の英知の結晶であるのにそれを瞬間の「政」に利用する、これに腹が立つ気がする。
「神様」が悪いわけじゃないとわかってるんだけどね。
新聞を三日間まとめて読んでいると、気になる事件を発見。
奈良の医師宅放火事件を巡る「供述調書漏出事件」、どうなるのかが非常に興味深い。
私が何故強い関心を寄せるかは、また明日以降。深く考えさせられる事件だ。
今年も出来る限り毎日日記をつけるつもりだけれど、
ごく近い将来、子どもに地元以外の大学に行かせる予定の我が家としては、今年の3連休は頻繁に外に出ることになりそうな。
地方に住んでいるとこんな「リサーチ」にお金がかかるんだよなあ、、、
と言うわけで、みんなの「麻生おじさま」からいただく「お年玉」、、じゃなくて「定額給付金」は子供の大学訪問の費用に使わせてもらう「予定」。
さあ、日常に戻ろう。