雑談。

ふと思い立って尾崎秀樹の書いた「ゾルゲ事件」を読んでいる。
尾崎秀樹の文章は端正で読みやすい、ダーリンは「大衆文学評論の人だからね」なんてイヤミ(?)を言うんだけど。
実は「ゾルゲ事件」ってよく知らないんだよな、戦中戦後のいろんな事件と一緒になっていて、誰かが轢死した事件とごちゃ混ぜ、
いやはや、昭和初期から歴史を学び直さねば。
この本は中公新書でなんと昭和38年初版。(手元にあるのは昭和51年の24版!)
昔の新書には最近の新書にはあまりみられない良さがあるなあ、書き手の言葉に重みがある、内容が肉親のことだからかな。
所々引用されている尾崎秀実の証言や書き残したもの、それらが昭和初期、戦中にはあった何か非常に「日本」らしい「日本」と言おうか、
言葉から時代を感じる、「古くさい」とかではなく、その時代を知らない私に仄かに懐かしさを憶えさせる。
生きるのに「覚悟」が必要だった時代の人の言葉なんだろうな、
戦争という否応のない国家の暴力が無差別に振るわれた時代に生きたとはどういうことだったか、残された言葉をたどっている。
鶴見俊輔の本とか、実家からいろいろ持ち出して読む用意はあるものの、なんだかんだでまだ手をつけていない、
ここ1年は図書館で借りてきたしょうもない本ばかり読んでた。
昭和や太平洋戦争については子供の方がよく知っていて、
私が明治や大正を「歴史」としてみたように「昭和」をもう「終わった」時代としてとらえている。
「戦争があった時代」と、太平洋戦争のあれこれについても的確な順序で憶えていて
東京裁判については「なんで昭和天皇は裁判にかけられなかったの?」と私にとってはどきっとするようなことをたずねてきたり。
これは「賢い」上の子じゃなく、「天然」な下の子に聞かれたからなあ、「素」で昭和天皇に「戦争責任があった」と思うんだよな、
その当時の統治者が責任を問われなかったとは他の国の例をみても「おかしい」と、その感覚が私にはなかったな、
平成生まれはさすが違う、これが「時代」ってことか。
私が残していく言葉も時代の言葉になることもあるんだろうか、うーん、そこまでの覚悟を持って書いてるかな?
今年は少々遊びすぎた、来年はもうちょっと真面目に読書録を残そう。
とりあえず明日、最近読んだ本を書いておこう。またしょーもない本ばかり読んでるんだ、とほほ。
来年はもう少しまともな本を選んで読みます!と一応誓う。
ところで「はてな勢力地図」というのを見かけて検索したところ、となりに大人気トリアージ先生がっっっ!!!
今年でいちばんへこんだかも、、、(涙)