「ネット」を考える。

「けんじろう」さんがいつの間にか復活されていて、親子で「ミクシィ」活用を呼びかけられている。
これは「初めてのインターネット活用」としてはいいアイディアだ、うちの子どもたちにはもう遅いけど。(涙)
先日「デジタルネイティブ」の番組を見て、真に「デジタルネイティブ」とは、はてなの近藤氏のお子さん世代くらいではないか、とあとで思った。
私世代の子どもたちでは親がまだあまりにネットに無知なので「ネイティブ」と呼ぶにはおぼつかない。
最近、中学生のネット事情は現在高1の娘がかつてメールで嫌がらせを受けたときに比べれば、だいぶん進化している。
子ども達でプロフや裏サイトには「気をつけよう」の意識を持っているし
保護者たちも子どもだけに任せていい世界ではないの認識が着実に根付いた。
手探りでしかネットを理解できていないものの、親世代が、ここ数年、学校と共に四苦八苦した成果だろう。
ネットを全否定するわけにはいかないと、「ケータイを取り上げろ!」などよく知らないが故、不安のあまり激高する一部の人たちをなだめながら
ネットを受け入れて、子どもたちのためになんとか出来ないか、地道にPTA達で呼びかけてきたのはそれなりに意味があったと思う。
親達も世代交代して「ネット」を知っている人が増えてきているし。
親が子どものネット活動の介添えをすることは決して「監視」などではない、
知るべきことをきちんと教えてもらった子どもがネットを活用する集団に一人でもいれば教えてもらっていない子もだんだんと知るようになる、
これが「教育」の成果の一部だろう。
子供達は「ケータイ」を通じてデジタル世界で軽やかに遊ぶ、実に見事なものだ。しかしそれは軽はずみでもある。
知らされていない危険に簡単にアクセスして、思いもよらぬトラブルに家族もろとも引きずりこまれたりして、
主にやはり「料金」のトラブルが多いのだが、中にはプロフやサイトで煽られて簡単に自分の住所、家族構成を簡単に教えたりもする、
私が今まで聞いた中でいちばん驚いたのはある子どもが友達と一緒に写った写真をプロフに使って、
その友達の住所や電話番号をよくわからない人間に教えてしまったこと、これは後始末が大変だったようだ。
ネットを使う「約束」を教えてもらっていないためにこういうことが起こる。
保護者の立場から見て、もっとも許し難いのは子どもにケータイを与える親の中に、かつてその子の「お守」をテレビやゲームに押しつけたように
子どもをケータイに押しつけて、子どもに「無関心」であるのをごまかすように「子どもの自主性を信じる」」と、
難しい関わりをあえて避ける、これほど無責任な話はない。まだ「ケータイ禁止!」を呼びかける親の方がマシだ。
なんだかマザーテレサが「愛の反対は憎しみではなく無関心です」と言われたのを思い出す。
横着な「無関心」を「自由」にすり替えるのは、あまりにもひどい。
親子でネットに関わること、ネットを使って親子が関わることについては考えることが書ききれないほどたくさんある。
我が家では子ども達は大学から家を出す方針でいるので、上の子が学生になったら、「プライベート」の場所を作る予定。
これで「オレオレ詐欺」も防げるかも、なんちゃって。どこにいても家族で何かを共有しあうのは意味がある。
小学生ぐらいの子どものいる家庭は「けんじろう」さんのアイディアなら親子共々、学びながらネット概念を確立していけるんじゃないかな。
ネットを知らない親でもなにもしないより、なにかした方がいい、その意味でいい提言だと思った。
ネットのよい可能性を信じたいので、この先巧みな「ネイティブ」達が生まれ、自由に活動することを楽しみにしている。