記録。

先日、下の中1の娘が急に「あのね、やっぱりね、お友達とはメールするより直接会ってお話しする方がいいと思う」などと真顔で言ってきたので
やり始めるといつも決められた時間が来るまでぱちぱちやってる子が何を、と笑ってしまって、
聞いてみるとお友達の一人で、仲間より少し遅れてつい最近やっとケータイを買ってもらった子が
非常に「メール」の内容にうるさいそうだ。
「長いメールがいい」「もっと可愛い顔文字をおくって欲しい」とか、云々、ネットにも相当はまっているようで、
「なんだか変わってしまった、、」「持たなければ良かったのに」なんて、
あんたも他のお友達も持ち始めた頃はみんなで一斉にはまりまくってたでしょうにというと、ちょっと納得して、
「やっぱりあって話をした方がよくわかってもらえるの。ネットで知り合った人と会うってそういうことかなあ」と問題発言、
「でもメル友って言葉だけだからうまくいかないと思う」
なんだか急にメールが嫌になってしまったらしく数日全くやめていた。
その後、少々落ち着いたお友達と和解(?)したらしくまたメール活動を復活したものの、一時期ほど熱心ではない。
件のお友達の送ってくるメールは普段とは違う印象を与える内容だそうで、それもまた「ショックだった」と
下の子のとまどいは「言葉」と「人」が必ずしも一致しないことを漠然と知ったことのようだ。
知っているはずの人が実はよくわかっていなかった「かもしれない」と気がつくのは自分が何を見ていたか理解するひとつの機会だろう。
子供の持つ感覚が「普通」なのかどうか私には判断できないのだけれど、
我が家の場合、ダーリンが「マイコン」時代からの人なので子どもたちは幼い頃からコンピューターが身近だった。
周囲の子が初めてネットに触れるのは「ケータイ」からで、パソコン画面を知っているわが子たちは
見にくいケータイ画面から一瞬にしてネットにのめり込むことがよくわからない。
それでも周囲の子どもたちもケータイである程度遊ぶと飽きて、ほぼ本来の使い方、「連絡」機能しか使わなくなる。
ネットするにしても登録したところをチェックするくらいで、ごく普通の子どもは最近問題のプロフもあまり見ない。
昨日、NHKスペシャルデジタルネイティブ」の番組をざっと紹介されている方が番組の掘り下げがもの足らないと書かれていたが
一部、「ケータイ」「ネット」といえば拒否反応を示す私と同世代、それより上の保護者や教育者もいるので
そんな方に見ていただくのには良い番組作りであったと私は思う。
あまりにネットの暗闇やその複雑さにスポットを当てられるとはじめからネットを敵視している人たちには誤解を招きかねない。
私は親の管理の下でネットに触れさせるのは悪いことではないと考えるので
天才少年の話や世界とつながるウガンダの青年の話は先入観を持った人を軟化させられるのではないかと思った。
ネットに詳しい人ばかりが番組を見るわけではないことは知っていて欲しいものだ。
子どもとネットの関わりについて色々感じていることはあるものの、まとめきれない。
とりあえずうれしかった子どもの発言を記録、「人とはやっぱり会った方がいい」、
この感覚が良いことか悪いことか本当のことはわからないけれど。