メモ。

以前本田由紀さんの本で「努力するのも習得すべき「技術」ではないか」と読んで、腑に落ちたことがある。
考えてみれば「自由」もまた「学ぶ」ものではないかと最近になってよく思う。
いきなり「君は自由だ」と子どもに言ったとしても、まず子どもは「自由」が何なのかを知らない。
自由は少しづつ世界を広げていくことで学んでいくのであるが、
それは大変厳しいことでもあると、教えるものがいなければなかなかわからないだろう。
この10年近く子どもを通じて今の公立教育とつきあって、その最大の問題点とはこのあたりにあったのではないかと考え始めている。
「型を教える」とは「型にはめる」とは別物だ、
自分自身の「型」を作り出すためには、まず「手本」となるべきものが必要ではないか。
私の子供と同世代たちにはその「手本」が与えられる機会が少なかった気がする。
教育する側も迷走する中で子どもたちは育ち、どこか混乱したまま大人になろうとしている。
安易に響きの良い言葉に惑わされがちなのは「規範」が示されなかったがためではなかったか、
あまりにも「自由」に幼い頃に放り出されたがためにかえって「枠」を求めようとしているというか、
何が「自由」なのかどうか知らないままに「自由だから」と放っておかれて立ちつくす、
この世界で自分の身を守る術と言えば何もかもにかみつくこと、「否定」することでしかない、その哀れさには胸が詰まる。
全てを与えているつもりで実は何も与えられていない、現実に「人を育てる」難しさを常に痛感する。
まとまらないけれど、メモとして。