雑記。

昨日のコメント欄でmushimoriさんが私の感じていた不満をうまく言葉にしてくれている。
私が説明する以上に的確に違和感を整理してくれたのでどのように説明すればいいのかわからなかった心が晴れた。
時報代わりにつけたテレビでたまたまあのニュース映像をちらりと見て私は衝撃を受けた。
あの場に子どもが立ち会うのはあまりにも酷だと思った。怒号と絶望の悲鳴が上がる、あそこは「戦場」だった、
私はやはりそんな現場を子どもに見せるべきではない、と思う。
人の権利が踏みにじられる場とは、殺人現場も同然だ、
子供に主体性があったとしてもそれを見せてもいいとは私には思えない。
私が書いた「べきではない」は心の叫びだ、表現の自由の問題ではない。
mojimojiさんは子どもであっても知る権利を有していると考えられていて、私もその意見には同意する。
しかし、子供の理解を遙かに超えた事態が訪れたとき、親の判断で(それももちろん「ケースバイケース」だ)
それがうまく咀嚼できる時期が来るまで、それが可能ならば隠すことはするべきではないか。
私は子どもが知るべきことを隠して「何故隠したのか」と問われたとき、「教えなかったのは正しい」などと突っぱねたことはない。
それはあまりにも誤解であり、誤読である。私が書いているのはそのようなことではない。
隠すべき時に隠しても必ず子どもはたずねてくる、「あのときああだったのは何故なの?」と。
私は知るべきことが来たのだと時だと判断して隠した理由、あとになったわかってきた事実も含めて子どもに説明している。
子どもが本当にはどこまで理解できているのか、それは親である私にもよくわからない。
私は不当に子どもを子ども扱いしてその「権利」を奪ってきたことはないと思う。
むしろ、私自身があまりにも放任されて育ち、鈍感になっているので、気がつかずに子どもに知らせてはいけないことを
知らせているのではないか、といつも不安に思っている。
「親もやはり迷っている」と理解し、納得できたのは幸せな子ども時代を過ごした証のように私は感じる。
親に「守られて」育てられたのだ、私の親は病気で死にそうにでもない限り私や兄弟のそばにいてくれることがなかった。
精神的に守られるべき時期があったことすら認識できないほど、二人は壮年期、仕事が忙しかった。
私がその時、理解できなくておびえるような事態があったとしてもそれを必死に隠したのは、
特に母親がそれを気に病むだろうと、仕事をしていることで負い目を感じている母親をそれ以上苦しめたくなかったためだ。
直接面倒を見てくれている祖母にも話すことが出来なかった、母に伝わるだろうから。
今振り返れば、私は子どもらしくない子どもだったと、周りの子どもたちとそりが合わなかったのも仕方がなかった気がする。
知るべきではないことを知っている子どもとは不幸な存在だと私は思う、それを克服するのは「時間」しかないからだ。
子供の時間は早くは進まない、そして時間が解決することを子どもは知らない、それを教えてくれる大人が私には存在しなかった。
そのような子どもがいびつな大人になって、それでも必死で子育てしてきたのを私はあっさり否定されているような気分にさせられた。
迷いがない人間がいるのだろうか。
どれほど迷い、ためらいながら選んできたことか、それを全てさらけ出していないからといってそれが「なかった」と判断されるのは
あまりにも理不尽に思う。
子ども時代の色々を思い出して悲しいのでまとまらないままに終わる。