ぶつぶつ。

「そんなことをいうんだったらとーだいせいがとーだいをほーむれすにあけわたしたらいいとおもいまーす」なんてアホな意見をチラッと。
学歴コンプレックスもここまで行くとギャグだな、もはや何を言いたいんだか、さっぱり。
誰かが立派なのは「とーだいでた」からではなく、その学歴を経て、何かを確実に得ているからだろうにね。
洗脳は好きでも啓蒙は嫌い、あるいは啓蒙と洗脳の違いもわからない人というのがいるものだな。
教育格差をどうにかしよう、の意見をよくネットで拾い読むのだけれど、
具体的に、底辺を底上げする難しさをこういうことを平気で書ける人を見ると思う。
「とーだいせいをばかにできるおれってとーだいせいよりぜったいえらい、えっへん」みたいな、
「聡明」そもそもの意味から教えないとなにも「わっかりーませーん」って、うちの子の中学にいるんだ、この手のがいっぱい。
「べんきょうばっかりしているからえらいとおもってるんだろー」なんて一言も言ってませんけど、「絶対そうだ!」と決めつける。
こういう環境下で、子供を勉強に向かわせるのはものすごく大変だった(今も)んだよな。
底辺公立中学では「必死で勉強する痛い奴」という「圧力」が好成績の子供に向う、
「べんきょうしているやつより、おれ(あたし)のほうがぜったいえらい」「だって、そいつを「いじめられる」から」と
安易な「力」を振るいたがる、そういう連中の成績は「最底辺」ではないんだな、
中途半端に「よくない」、だって「努力」することを「放棄」しているんだもの。
そこそこ頭は回っても「能力」が「知性」に至るまでの「知識」の一定量が絶対的に欠けている。
勉強に真面目に向かわないから、当然、自己評価ほど成績はよくない、
それを「あげる」ために、本来は「勉強」するべきだけど、「出来る奴を引きずり下ろせ」と簡単な方法に飛びつく。
悲しいほどの「最底辺」とは「努力」以前の深刻な問題を抱えている、「最底辺」の子は、そもそも学校にも来ないしね。
上を引きずり下ろそうとする連中は同時に「最底辺」を「温存」する行為も怠らない、
だって「最底辺」がいないと困るもの、自分がそうなってしまうのはやはりこわいんだよね、
他人から馬鹿にされるのは我慢ならない、「最底辺」になる「勇気」も持ってない。
一番上と一番下が今の学校では「いじめ」の対象になる、本当に「学校」って「社会」そのものだね。
上への尊敬もなければ下への配慮もない、それが今の「社会」、「ネット」でもそう。
「教育格差」以前に変えるものがあるけれど、本当にこういうものって変えられるのかどうか。
「底辺」と呼ばれる学校の内実を語れば、止めどもないし、愚痴ばかりになる、
ただ、そんな中でも真面目にがんばる、くだらない「いじめ」には加わらない、「まとも」な感覚を持つ子供達がいるから
私はやはり「地元中学」に通う意味を見出す。それがあるから「ネット」も続けられるんだろうな。
「啓蒙」と「洗脳」の違いがわからない人間は「中途半端」と「中立」の違いもわかってないよ、きっと。
「「ちゅう」はいっしょだもん」と言い出しかねないな。
ふとある種のボランティアー団体に属している人がちょっとお手伝いに来ただけの人に
「全てを捨てなければ認めない!」なんて迫るのを思い出した。
それを言うことで「ボランティアー」の首を絞めてる、と気がつかないんだなあ、
つか、そんな人がやってることは「ボランティアー」じゃなく、本当にしなければいけないことから逃げているだけだから。
上をなくせば下がなくなるか?では下をなくせば上もなくなるのか?それは違うだろうになあ、、、