おもう。

ホームレス問題についてあちらこちらを拾い読みしている。
私の住んでいるところはホームレスらしき人が大都会に比べれば極端に少ないので、
自分の知っていることがホームレスの「全てか」と問われたらそんなことはないとわかっている。
ただ、10年ほど前には見かけられなかったその姿がここ数年、大きな駅前などで増えてきていて、
「都会で住みづらくなって流れてきた」としたり顔で言う人もいたので「そうかな?」と思っていたら、
たまたま駅近くの救急病院で働く身内から聞いた話では「純県内産」だそうで、
「診察料が払えるわけではないから救急で運ばれてきてもあとが大変」と、やはりお金がないから路上で生活しているようだ。
私の知るホームレスらしき人は駅周辺の雨の当たらないところに潜んで、
小さなまちで昔の知り合いに会うことをおそれているように人目を避けている。
図書館で見かけたのはまだ一度か二度、たった一人で、来館者が増えてくるといつの間にか姿を消した。
確かにその人がいたあとは独特の臭気があって、そんな人の数が増えたら大変なことになるだろう。
ただ、「におう」ほど体を「洗わない」あるいは「洗えない」は追い詰められた精神状態がそうさせてるんじゃないかと勝手に想像している。
もちろん、経済的に余裕がないのも事実だろう。経済状態と精神状態は大きく関わりがあると私は思っている。
私の兄弟は、転職する前、同期が次々と自殺していく壮絶な職場にいた頃、たった数時間でも一人で横になりたいと
よろよろ部屋まで帰って玄関で服も脱がずに倒れるように眠っていた時期、当然、風呂にも何日も入れなかった。
そんな日が続くと少し時間が出来ても、風呂にはいるのが「こわい」、「入ったら、どうにかなってしまう」の妄想にとりつかれた、と言う。
風呂に入って体を洗うことで自分が失われてしまうような、つまり極端に緊張している状態がほどけたら自分が「狂う」と信じたらしい。
やたらと手を洗いたがる「潔癖性」の反対状態のようなものかと思う。
その頃の兄弟は駅のホームで通勤電車が来る度に「ここに飛び込めば楽になる、、」と毎日思いついてしまう精神状態で、
ある日、本当に踏み出そうとしている自分に気がついて、それをする前に親や兄弟に連絡しておこうと考えてくれた。
私たちは必死になって彼を引き戻して、なんとか死なれずにすんだ。
兄弟は大不況下、ようやくつかんだ正社員の仕事を辞めたらもう生きていけないと思い詰めていた。
幸いにして以前から声をかけられたところがあって、そこに転職し、今は遙かにマシに暮らしている。
どうしようもない状況に陥った人たちはこの国で、自殺するかホームレスになるかしかないんだろうかと最近思う。
とはいうものの、夜遅くまで駅前の塾に子供を行かせている知り合いに言わせると
暗闇からぬっと現れるその存在がひたすら不気味だ、子供に何かされるのがこわいと、
私は夜に駅前に行くことがないのでわからないが、一理あるのかもしれない。
「臭いのは困る」というのもよくわかるし、どうするべきなんだろう。現実問題として突きつけられると非常に悩む。
具体的に私に何が出来るだろう、見て見ぬふりをすることぐらいしかないのかな。
私の住んでいるところのような貧乏県でホームレスらしき人が増えているのはやはり社会の構造がどこかでおかしくなったのだと思っている。
なりたくてなった、なんてことは絶対ない。