「少女の衣装」

うさうららさんのところで「少女の衣装」というきれいなタイトルを見たのでコメントした。
いいなあ、「少女の衣装」、もうおばはんには縁のない世界だわ、、
と言うのはさておき、私がちょっとわからなかったのは自分の好きなスタイルに「装う」のはそんなに悪いことなのか、と
もちろんその傾向は必ず何らかの他者からの視線を意識しているし(無意識であっても)、
テレビや漫画の影響も大きい。でも独自の「スタイル」を確立していくためには通過していかなければいけないものではないか。
確かにあまりにも「チャラッ」とした格好をしたがる時期というのがあって、小学校高学年から中学生くらい、
上の子はまだ「モー娘」(「ミニモニ」だったか?)の影響があったのでそれ風の格好をしたがって、
つまり「ナルミヤ」系列のお高い服を買わねばならなくて涙、涙、の日々で(と言ってバーゲンで1〜2枚買っただけ)
なんと「シースルー」の服も買えとのたまったこともあったのですよ!(これは「モー娘。」とは多分関係ない)、結局買いましたが、
一度か2度着て引き出しの奥につっこみ、いつの間にか「熱」はすっと冷めてしまって、
「えーなんであんな服着てたんだろう」「あんたが着たいっていったんじゃないか!」「信じられなーい!」と、うちは一過性のものではあった。
(注;「シースルー」の下にはしっかりTシャツを着るというおかしな「重ね着スタイル」をしていました)
我が子の場合、どんな服でも「機能性重視」、「パンツが見えるような短いスカートは絶対嫌!」派で、
上は「チャラッ」としていても、まあ、まあ、それほどひどくはなかったような。(と、思いたい。)
「自分の選んだ好きな服は着たい、でも快適でないと嫌だ」とは、漠然と「何か」がわかっていたのかな。
おかしなことに「目立つのは嫌」と言うんだなあ、みんなと同じように「チャラッ」としていたいらしい。
フィギュアスケートの衣装に関しては鍛え抜かれた女性の肉体美を余すことなく伝えるのにああしたスタイルにするしかないんではないか、
くるくる回る素早さを「表現」するのに短いひらひらしたスカートがより効果的で、
男性の衣装の場合、女性ほどそのスピード感がわかりにくい気がするんだけれど、直接自分の目で見たことがないので何とも。
少女の衣装が少々露出的であるのも少女が少女であるがゆえんの「軽さ」のような、
私が思うのに「まだ自分たちは子供だ、子供だと思わせて」と「女」になりつつある部分を無意識に「露出」して
「ほら、ほら、違うの、子供だからこんな格好がしたいの」の声をあげているような、
「成長」をおそれる「少女」らしさが意地になって親が押しつける「無難」な服を拒否している気もする。
特に今は、本来「少女」とは「女」の部分が「少ない」はずであるのに、いつの間にか斜めの「つっかい棒」がとれて
「小さな女」にされてしまった、そういう「悲痛」さも感じることがある。
ネットにしろ携帯にしろ、もう子供はすでに一人前の「消費者」として社会に押し出されている。
それは子供にとって大変な「ストレスであるように私は思う。(これは内田樹先生も書いてたかな?)
子供が子供であるが故にしたがる「スタイル」を「性的」なものとしてとらえる「大人」のよこしまさが少女の衣装を汚していくんだろうな。
何を着ていても「子供」は「子供」、背伸びはやめなさい、と言える成熟した社会であって欲しいと願いつつ、
例えばネットや携帯に関して自分の子供に規制をかけるべきだと具体的な話を書けば
「親の監視だ!」と現状をかけらほども知らない阿呆が絡んでくるのだからとかく世間(ネット?)はやりにくい。
「装う自由」を手に入れるまで少女達は何度も「失敗」して、その「失敗」が取り返しがつかないものにならないように親は見守りたい。
しかし「表現の自由」の名の下にあからさまに異性の視線を意識した衣装を他人に提案されるのは不快だろうな。
子供は「みんなと一緒がいい」と言い張るんだろうしな、、、
自己満足だけが「お洒落」ではない、それに「表現」が関わる、多数が関わる、となるとさらに難しい。
特に子供によその親自身の「自己実現」を重ねられているとたまらないものがあるんじゃないかな。
「表現」と、「規制」と、個人が着る「衣装」ではない場合は大変そうだ。
上の子の服は最近とても「おとなしめ」になりました、「DO!FAMILY」と「イーストボーイ」がお気に入りです。
ま、このあたりなら親としても「無難」かと、、、