日常。

このあいだ読みに行った日記に「非モテの5年後10年後」というのが紹介されていて
その結論は「無縁仏、密葬一直線」である、とか。なんですかね、結婚って骨を拾ってもらうためにするモンなんですかね。
結婚して子供もいるけどあいにく女の子だし18過ぎたら家を出て1人で生活してもらうつもりなんで、
私の骨を拾う人がいるかどうか、全然当てにしていませんなあ、「お一人様の老後」を買って読みたい今日この頃。
死んだ後はどうでもいいんで、孤独死で発見されてもこれと言って不都合は感じない。(でも腐ると迷惑はかかるよね。)
先日のシロクマ先生はつまり「骨を拾ってくれるのは2次元美少女じゃないざんす」と言いたかったのかな、
そのために女とつきあって、結婚して子供を作れ、と言うのはあまりにも乱暴な、
骨を拾ってもらうためだけの配偶者、子供なんて、その立場におかれたものに身になって見ろ!と言いたくなるな、
何かに没頭して結婚もせずに生涯を終える、なんて人は昔から少なからずいたんだし、(宗教者に多かったのでは?)
そういう生き方があってもいいんじゃないか。
人生、何が起こるかわからない、骨を拾ってもらうはずの配偶者に先立たれた、なんてこともざらにあることだしね。
結婚したくても出来ない、だから「趣味」の世界にはまるのも、はじめから「趣味の世界で生きる」のも、もう認めていいような、
骨を誰かに拾ってもらうってうれしいですかね、その時はもう死んでるのに。
ま、結婚したって1人になる人は1人になるし、一人暮らしの人は増えていくだろうから、それなりに何とかなるような、
先のことは誰にもわからんのだし。
昨日、保護者会が9時過ぎまであってミルクを買い忘れていたので帰りによく行くスーパーによると、
ヤンママのかたまりと幼児数名、3歳くらいの子供がポテトチップスの大袋をもって歩きながら食べていたので驚いた。
まだ乳児に近いような子にポテトチップスは塩味がきつすぎるな、
でも、ものすごく一生懸命ぱりぱり食べていたんで、はて、これが「食事」なのか、
ママ、「ハイハイン」ってお子様用の薄味せんべいがあるんでそちらの方に変えてはいかがかと、
でも何も食べさせないよりはいいんだろう。
ポテトチップスを買い与えることも私は一種の「愛」だと思うんで、なんとかそれを他のものに変える方法はないか、
やはり「食育」となるんだろうが、その「食育」講座にこのママ達はこないだろーなー、
江原なんとか、みたいな人に「お子さんに、ポテトチップスはよくありません、お子様せんべいを」とでも雑誌で語りかけてもらうしかないかな。
で、同じくらいの幼児をつれた仕事帰りらしいカップルがお買い物をしていて、
パパにしっかりだっこしてもらっているお子様はポテトチップスの袋を握っているお子様とはたたずまいが全然違っていて、
例え同じ保育所に通っていても、自ずと「格差」が、、、などと、身勝手なことを思ってしまったおばはんなのでした。
ヤンママ達は一緒に固まってたな、子供達のお父ちゃんはどこにいるんだろう、と寂しさを感じたりして。
スーパーでの一瞬のすれちがいでそこまで妄想を炸裂させる私、「とし」、ですなあ、、