ケータイトラブル。

中1になった下の子に「ケータイ」を買って2ヶ月近く、早くもちょっとしたトラブルがあった。
うちは「ソフトバンク」で「ドコモ」が多いお友達の間で珍しがられて、1人の子に「ちょっとかして」と見せてあげたら、
あちこち押したあと、「登録しておいてあげる」とヘンなところにアクセスされてしまった。
どうもお友達は「無料」だと思って行ったところが「有料」で、そのあとおかしなメールが届くようになった。
ソフトバンクの使い始めは、いろんな機能が「サービス期間中です」とついているので、
うっかりネットにアクセスすると「有料」のいろんなところにつながっていく、うちの子には教えているがお友達は知らなかった。
もう1人、別の「ケータイ」をもっていないお友達も「ゲーム機」感覚であちこち触って、
アクセスしたところで「有料」のものを勝手にダウンロード、
「ケータイ」の「画面」に出てくるものはそれがその「機種」の中に「ある」ものだと信じているからついやってしまう。
「今度からはお友達に説明してね」と、たいした値段ではないから相手の親には黙っているものの、「とほほ」だ。
自分で「ケータイ」をもっている子でもネットにどうつながるか親子で理解できていないので自分のもの以外でもトラブルを招く、
また、「持たせない主義」のご家庭の子供は全くわかってないので「おもちゃ」を貸してもらった感覚で扱う。
先日、朝日新聞の「耕論 子供とケータイ」の記事で「山谷えり子」「下田博次」「嶋聡」氏、それぞれの意見を読んで、
首相補佐官」(教育再生担当)山谷えり子氏は「小中学生は持たなくていい」と、
必要もなくもっているわけではなく塾や部活で帰りが遅いために持たせていることをほとんど意識されていないかのようだ。
「携帯から解放してあげる」といういい方では携帯を持てば誰もがそれに溺れてしまうとお考えのようだが
きちんとその「管理法」を家庭で教えてもらっていればそんなことにはならない、
うちの子のケータイで間違ったことをしてしまったのもたった二人だ、一人は親が「放任」主義、一人は全くもっていない。
「ケータイ」を子供に「自由」と称して与える「だけ」では、泳ぎ方を知らない子供をいきなり海に放り込むのと同じだ。
泳ぎ方を知らなければ、溺れてしまう子供は確実に存在する。
隣に不器用に泳ぐお友達がいればそれを見ながら何も教えられていない子供もなんとか泳ぎ方を覚えるようになるだろうが、
そのためにもそれが「出来る」親は子供に扱い方を教えておくべきだろう。「管理」は必要だ。
NPO青少年メディア研究会理事長」下田博次氏は
「保護者は勉強し「ペアレンタルコントロール」を身につけなければいけない」ともっともまともなことを書かれていて、
「今になって禁止したり規制を強めたりしたら反発するだけだ」とよく現状をご存じのようだ。
もう1人の「ソフトバンク社長室長」の話は論外、企業戦略を適当に語られてもな、と思った。
なんにしても、もう「ケータイ」の世界は存在し子供も続々と参入しつつある、
山谷氏のような時代に逆行するようなことを言い出されては、その「道具」がつかえるかつかえないかで「落差」がまた現れてしまう。
「自由」には「義務」も伴うことを「ケータイ」の持ち方一つでも教えられると思う。
「規制」よりも大切な何かを「ケータイ」や「ネット」からつかみ取らせるやり方もこれから考えてみたい。