「いじめ」の話。(その2)

2年近く前の「いじめ」のことを時々ぽつん、ぽつん、と娘が話す、
配偶者曰く、「嫌なことを話すことが出来ない、話せるようになるくらい落ち着かないと話せない、僕、そっくり」と
では1年も2年も、娘は苦しんできたんだな、ずっと「私が悪かったのかも」と考えられる善良さが私には悲しい。
今、高校の特別科に入学し、3年間40人と同じクラスなので
「もし、誰かに嫌われていじめられたら、、それがものすごく怖い」と言う、
「いじめをされたのはあなたが悪いことをしたわけではない」といくら言ってもそれが受け入れられない、
それをすると大切に思ってきた友達が「悪い」ことになりそうだから、それをしたくない「やさしさ」をどこで培ってきたのか、
その「やさしさ」は人としての「強さ」なのか「弱さ」なのか、私にはわからない。
「嫌なことは忘れなさい」と言うと、
「いやだったことを忘れると、あんなことをしてしまう嫌な子に私がなってしまいそうだから」と言われて、心で泣けた。
「匿名」で「死ね」の言葉を100も連ねて、その合間に「みんながおまえを嫌っている」「ウザい、臭い、自分で死ね」
などと書かれたメールを送りつけられたあと、学校に相談した私は担任から
学校を休んだことのない娘が休んだのを知った別のクラスの転校生が職員室に駆け込んで
「私をかばったせいでいじめられています」と訴えたことや
同じクラスの決して「いじめ」に加わりそうにない子供達に担任が個々に呼び出して「いじめ」の有無を聞くと
即座に私の子供の名前が出て、誰と誰がやっている、とはっきり言ったことを知らされた。
その中にずっと仲良くしていた子供の名前があったのは私にとっても衝撃だった。
メールに「みんながおまえを嫌っている」と書かれたり
「親友」が「嫌がらせ」グループの中にいたせいで娘にとってはクラス全員が「敵」に回ったようにうつったようだが
少なからず娘の「味方」、「何やってるんだよ」と見ていた子供がいて、
笑いものにするようにいじめグループが盛り上げていても決して笑いに加わらない子供もいたらしい、
ただ、未熟な女の子同士の「ずーっと一緒」関係は「疑似恋愛」の部分もあって、
唐突に相手に「ふられた」状態になれば混乱して周りは見えない。
ひどい嫌がらせが続いてもそのことをなかなか訴えられなかったのはそのグループの中に「親友」がいたからで、
いつかそれをやめてくれる、とどこかで信じていたようだ。
やめてくれたかどうか、それはわからない、
いじめを「している」と見られた側は自分が「いじめ」をしているような人間に周りから「思われたくない」、
そのために、見ている周囲に「いじめ」をされている側が、いじめをされても仕方がないような人間に「思わせる」ように躍起になる。
「私がもし、あの子がいじめられてても私は絶対しないのに、あの子はどうしてしたの?」と聞かれて、
「あの子の心が弱かったから」としか答えられなかった、
転校生と口をきくな、と言われても何故そうしなければいけないのか全くわからなかった娘にはわかるまい。
そういうことを「する」「しない」は、もう「生まれつき」のものではないかとさえ、私は時々思う。
娘は「これから何があってもあの頃のことを考えるとがんばれる気がする」と辛い経験を時々話してくれて、
多分、今、もう一度人と深く関わりたい、人を信用できるようになりたい、そう、心から願っているからなのだろう。
それがたとえ、「今」、出来なくても、いつかは出来るようになる、私はそう思っている。
傷つくと言うことは、ものを考えるようになる、と言うことでもある。
本当の「強さ」とは人に力を振るい「いじめ」を誇ることではない、強さは何も感じないことではない。
他人を傷つけて平気でいられる、傷つけたことを気がつくことも、受け入れることも出来ない愚鈍さが
私の子供にはないのだ、と思うとやはりうれしい。
それでも、子供時代、無心に愛していた、信頼していた相手に、こうした形で離れていかれたのが私もまた、悲しいと思っている。
まだまだ色々なことがあったが、やはりまとめきれない、とりあえず覚え書きの一部として、これで終わる。