[「いじめ」の話。(その1)

子供の「いじめ」のことをいったん思い出すと止めどもなくなって、
いじめられた子供の親の立場からするともう腹が立って、腹が立って仕方がない、何よりも「悔しい」が私の場合、先に立つ。
何が「悔しい」かと言えば、いじめを「した」側の子供達はあっさりそのことを忘れているのに
いじめを「された」側はなかなか忘れられない、この「理不尽」さにつきる。
いじめた側にとってはもちろん多くやったいじめの対象の一つに過ぎないので、
そんなこといちいち覚えていられるか、なんだろうが、「された」側にはめったにない経験だ、
しかも自分自身の「やさしさ」が深く心を傷つける、
「私が悪かったからいじめられたんじゃないだろうか、、」と今でも子供は考えているらしい。
「嫌がらせ」もいじめ常習犯の子供にされただけのことならこんなにも傷ついていない、
私の娘にとってもっとも痛手だったのは小学校時代から「親友」と考えていた子が「嫌がらせ」に加わってしまったことだった。
時期が悪かったと今はわかる、ちょうど中学2年で、そうでなくても「難しい年頃」とされる年代だ、
中学でも1年まではまだ緊張感があっておとなしい、3年になると間近に「受験」が迫るので人にかまっている時期でもない、
学校になれてきて、でも何となく自分の今後が漠然と見え始める不安定な時期、
「問題」はこの時期にもっともおこりやすいものらしい。
勉強にしても中学1年までは何もしなくてもほどほどに何とかなる、でも2年になると1年のベースがないと少しづつ落ちる、
そして特に上の子世代がもっとも「勉強なんかしてなんになる?」の虚無が強く漂っていた気がする。
でも「勉強しないでなんになる?」という気持ちはどこかにある、
ほとんど迷いも見せずに順調に勉強する子供は「目障り」だと感じられる、
そう「あるべき」であるのに「したくない」、その「いらいら」を静めるのに屈託ない子供を叩くのはさぞかし気分がよかったろう。
また生意気な「転校生」を「しめる」、
それに従わなかった子供を「正義ぶる」と、言葉にはしなかったろうが「攻撃」の対象にするのは
「正当性」のあるものに思えただろう、「いじめ」とは「私は悪くない」から始まるのだろうか。
と言うより「私は悪くない」がそれを続ける「動機」となる気もする。
娘が小学4年の時に転校してきて以来、もう「一心同体」のように仲良くしていた友達が、
はじめは意地の悪い子供達と一緒に「からかっている」つもりだけだったのが
いつの間にかそれからぬけられなくなってしまったのはそれだったような、
引くに引けなくなる状態にされてしまったのも私の子供にとっては本当に辛いことになってしまった。
「あの子があんな嫌がらせをする子と一緒になって笑ったり色々したりするのは、私が何か悪いことをしたせいじゃないのか」
と、娘は思ってしまった。
実のところ、本当に子供だった頃はお互いの「違い」が全く見えていなかったので、動物がじゃれ合うように仲がよかった、
それが中学2年にもなると「自分」と「相手」の「違い」を「意識」し始める、その「違い」が「悪い」ではなく、
その「違い」を認めることで成長が出来るはずが、様々なことが重なり合ってゆがんでしまった。
娘の「親友」は本と言えば「恋空」とか、そういう「ベストセラー」系だけを「素晴らしい」と考える、
話題の「ドラマ」に出ている俳優を次々に好きになったり
「誰が誰を好きで、つきあっていて、別れて、今、あの子とあの子は仲が悪い」とかのうわさ話が大好きだったり、
これは女子中学生としてはごく「当たり前」のことであって責めるに値しない。
でも、娘には「ケータイ小説」の良さはまるっきりわからないし、うわさ話も興味がない。
娘も話を合わせようと必死になっていた部分があった、ただ、いつまでもは続けられない、
何となくお互いに不満と寂しさを感じていたところに転校生へのいじめを阻止された、と考えたいじめ常習者の子供に見つけられて、
割ってはいられた。その「場」を「読む」に長けている子供にとってはたやすいことだったろう。
あまりに「善良」過ぎて、それになすすべがなかった子供の心を傷つけられたことを私はやはり「悔しい」と思う。
2年近く経ってわかっていることが多すぎるので書くと長くなる。自分を整理するために続ける。