雑誌を読んだ。

紙屋高雪氏「だけ」を目当てに「ロスジェネ」という雑誌を買って、あとの記事は放りっぱなしにしている配偶者のかわりに
大枚「1300円」の元を取らねば、と読んでみたが
「ダーリン、業務連絡です、紙屋さん「だけ」の本を買うようにしてください。」
前々から相性の悪い、「希望は戦争」の赤木氏の対談を読んでみても、納得もできず、
気の毒だと思わなければいけないんだろうが、なんでこうも腹が立ってしまうのか、
私としては社会的弱者を名乗る人間が子供に刃物を突きつけて「俺の言うことを聞かねば子供を殺す」と脅されている気分になる。
「希望は戦争」って私の子供世代は戦争に行けってことに聞こえるからね、「私」には。
現実に戦争をしたところでかり出されるのはせいぜい現在なら20歳そこそこの子ですよ、
30過ぎたおっさんは徴兵の順番も遅いと思うんだな、仕込む側だって若い方が都合がいいだろうし。
何をゆーてくれとるんじゃ、あほんだらぁ、とそれが先に立つんだなあ。
赤木氏の対談で印象に残ったのは中学時代に40万、高校卒業時に80万のパソコンセットを買ってもらったと言う話、
これを「家が裕福だ」の証拠としてあげるつもりはなく、むしろ「バブル」時代に育ったんだな、
「平等」が「お金」で買えると信じられている世代の子供達か、と感じた。
社会に適応できるか否かは、ひょっとして日本が厳然たる「階層社会」であることを早くに受け入れられるかどうかにかかってるんじゃないか、
と最近思ったりする。(どこかでも読んだか)
ある程度以上の家庭には、中学や高校卒業時にその子供が将来稼げる月収以上の「プレゼント」など、
例えお金があったとしても絶対しない「良識」が存在する。
地域性もあるかもしれないが私が知る限り、やはりそういう考え方をする「家」の人の方が階級の「上層」部には多い。
「文化的資本の継承」と考えるべきなのかな?
子供が恐ろしくパソコンに精通していて将来「め」があると親が見なしていればその金額をかけないこともないだろうが。
「バブル時代」と言えば、「女子大生」をしていた昔、通った大学は地元で評判がよかったので
そこの「お嬢様」をアルバイトに「雇う」のが一種の「ステイタス」なのを知って驚いたことがある。
確かに付属校から上がってきた同級生に本物のお嬢様はごろごろいたがそういう人はアルバイトなんかめったにしない、
したとしてもお父様のお仕事関係のおじさまの「家族ぐるみ」のところでお茶くみをしてみる、程度で
「うちも(私の大学の名前)の子を雇えるようになった、、」と感無量になる方のところに現れる可能性は皆無に等しい。
「階層」って、結局、見えてるようで見えてないような。
あのころ、世間にどれほどお金があふれていようが、私は3人兄弟の真ん中で、大学は地元から出してもらったものの、
それ以上のことは「無理」なのをよく知ってたから、バイトばっかりしている「お嬢様大学の貧乏学生」だった。
一度ゼミコンを、行くお金がないからと断って、同級生に「意地を張らずにお父様にお願いしてみなさい」ときゅっと手を握られて
いや、その家にお金がないし、と言えなくて困ったことがある。
バイトと言っても「水商売」系に行けばものすごく儲かったのかもしれないが、
そういうのは自分の性格にあわないと知っていたので、薄給のバイトばかりしていた。
でも、色々やってると人から声もかけられるし、中には本当に親切な人もいるし、楽しかったからみじめに思うこともなかった。
(クリスマスにケーキを売ってたら彼氏連れの着飾ったお嬢様同級生に会うベタな経験はした。)
「ロスジェネ」からなんでこんな話になるのやら、この脳天気ぶりがやはり「バブル世代」なんだろう、申し訳ない。
赤木氏の話に戻せば子供時代にコンピューターを買い与えたご両親は「先見の明」があったと考えてもいいんじゃないか、
「ネット」で叫んだことによって彼は世界に浮かび上がりつつある、遅すぎる、と私は思わない、
「平和な時代」だからこそ、30過ぎの男はまだ「若い」しね。(女は未だに「ビミョー」な気も、、)
世界は彼の叫びに気がついて呼びかけ始めた、そうなったのは子供時代に買い与えられたコンピューターのおかげかも。
彼の声に答えようとする人が存在するんだからチャンスを生かしていけばいいんじゃないか、
世の中って悪くないじゃないか、と、私はこういう考え方しかできないな。
ところで、ネットで秋葉原の事件の犯人に同情的な声もちらほら見たがそれには全然同調できない。
いきなりひき殺された大学生の方にしか同情は感じられない。犯人の「孤独」は「身勝手」にしか私には見えない。
やはり「左翼」にはなれないと思った。