「ルブタン靴」、、、

「ルブタン靴」の検索があったのでたどるとかの有名な「きっこ」さんのブログがあって読んでみたが、「?」となる。
ジミー・チュウは6年ほど前の日本で珍しかった、って本当かな?個人輸入のブティックにあったような気がするんだけど。
フラッグショップが出来たのは確かについ最近だけど、昔からそんなに「レア」なものでもなかったような。
「きっこ」さんが実在の人物かどうかには疑問点がいくつかあるらしい、と聞いたことがあって、
私はここを読んでなかったんで「ふーん」程度だったけど、何となく納得、のような。
だって「靴とバッグさえちゃんとしてたら洋服が安くても大丈夫」ってのは「神話」だし。
スカート丈に細かくこだわる人がそういうことに気がつかないってあるのかな?
使い捨てにユニクロの白のTシャツを着る、はよく聞く話。
でも「靴」と「鞄」がよければ(あと、着る「本人」の「素材」がよければ、ってな、わはは)、
着てる服もよく見えるって、雑誌が煽ってブランド品を買わせる常套句、
ブランドの洋服はそう簡単に手に入る金額じゃないけど、靴とバッグなら何とかなる、ものによれば10万円以下だものね。
それなりの環境の人間が見れば「あ、安い服」はすぐわかる、
かえって「靴とバッグ「だけ」がんばりましたー!」なのは「痛い」と「笑いもの」になるね、「おしゃれ」ってそういうものだよ。
まあ、そうは言っても結局、ヨーロッパ製であっても縫子さんが「メイドインチャイナ」だったりするし、縫製は同じと言えば同じ。
それでも、「やっぱり違う」は私のように「見る」だけで、ほとんどそれに手を通す機会のない人間でもわかる、
残酷なくらい細部が違う、「機械縫い」のものと「手縫いの」ものは。
体に沿う「ライン」であるだとか、布地だとか、そこはかとない「繊細」さ、マメに見る人であればすぐわかるでしょうにね。
特にスカートの「ライン」なんかは如実に表れてくるはず、きっこさんの感覚はこの辺が「?」ってかんじ。
全体にバランスのとれた価格である方が人はきれいに見えるし、好感も抱かれる、
「いいえ、私は「素材」がいいからそんなことはないわ」というのは思いこみだろうな、
名のあるレストランだとかホテルだとかの人は見逃さないよ、抜群に「感じのいい人」なら応対も違うだろうけど。
雑誌も罪なことを書くわ、「靴とバッグがよくても安い服は安い服にしか見えません、、涙」とは
「あなたの素材が悪いから」ですむんだよなあ、、、
本当に人を「おしゃれ」に見せたいのなら、「身の丈にあったものを選びましょう」だろうにな。
とはいうものの、若いうちは失敗するのも勉強のうち、「いいものはいい」けど、自分に「必要か?」がわかるようになればいい。
しかしまあ、年をとってくるとかまわねばならないところがあれこれ出てきて、具体的には歯や手や髪、
ゆるんでくる自分のラインをどの程度受け入れるか、いやはや、やはり、そこそこに服を選ばねばな。
ちなみに私も「コールハーン」の靴は個人輸入で買います。2万円以下で手に入ります、
ただ、足にあうサイズかどうか、カタログで「型」をじっくり眺めないとわからないですな、
同じサイズであってもデザインによってはきつかったりする。(とほほ) 「おしゃれ」は年をとるとそれなりに頭を使いますな。
ところで、船場吉兆、廃業。
新聞記事で、もっとも心に残ったのは、使い回しの料理を「下座の客に出すことが多かった」
これぞ、「古き良き」時代のうつくしい「伝統」。 さすが「接待」店、従業員の「しつけ」が行き届いてて、笑えました。