「バーカ」ぼくちゃん、鑑賞中。

こちら(http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20080516/p4)から、育児奮闘中の人間に向かって何よりの励まし、
「バーカ」とのお言葉をくださる素晴らしい「ぼくちゃん」ですがコメントに反応はないようです。
トラックバックを送ってまで「ばか」と他人を罵らずにはいられないほど健やかにお育ちあそばしたのだと想像しましたが、
親御さんの「監視」が「ない」が故のこのような行動であるのなら、「バカ」の言葉は自分自身へのつぶやきだったのでしょう。
「結局、親の監視じゃねえか、Big Brotherかこりゃ。どこが自分を見つめるもう1人の「自分」なんだバーカ!」
自分の中に感じる「親」の目、それは実は「親」であって「親」ではない、
そのことに気がつく程度の理解力がなければ私の書く文章はさぞかし読みにくいだろう。
現在、私とは別相手と喧嘩中のぼくちゃんは親の価値観を「譲り受ける」と言うことがなかったようだ、
継承する価値を持たないご両親だったんでしょうか?「放任主義」、幸いでしたね、
そしていきなり子供を持つ人間を「ばか」呼ばわり出来るほど「ご立派」になられた、
申し訳ないけど、このぼくちゃんに「監視」呼ばわりされても私は私の「育児」を全うしましょう、
ぼくちゃんのような人間に育てないこと、それだけは確実にやらねばいけないことですので。
現在意味のない「セカンドレイプ」言説をめぐって喧嘩中のぼくちゃんは
根拠なく「このバカ」などと書く、それを意味なく相手に伝えずにはいられない、
自分の頭を「消毒しましょ」の方がよいお子ちゃまでした。
これから何をしでかすのか、私は楽しく「鑑賞」しましょう。いえ、「監視」はしません、彼の「親」ではないので。
それはともかく、「親の監視」なしに子供が「まとも」に育つかどうか、
私は親の「監視」というものがどこまで許されるのか、親の子供への意思を「監視」という「とらえ方」をするべきかどうか、
そのボーダーについて考えたいと思っている。
「育児」に崇高な理念を抱きすぎていてあまりにも無責任な「放任」に至る場合の方が実害が大きいことを
高校生の子供を持つ私は知っていて、そこには「親」の「他人に見られて恥ずかしくない「育児」をしていたい自分」がある。
例えば「こんなことをしたら「監視」と他人に「思われる」かもしれない、、」それが「無気力」を誘って、
結果、子供の不利益を招く、この、「ばか」のぼくちゃんのような「ご意見」がそれに拍車をかけるわけで、
その無責任な「外野」の弊害を現実に「親」である私はしみじみと感じる。
このぼくちゃんの場合、他人を心おきなく「バーカ」と罵って「すっきりしたー!」だけであるので、
そういう「マスターベーション」は、はしごちゃんのブクマコメントとそれほど変わりないものだ。
はしごちゃんにあれこれ言えたすじではないのをわかっていないのがご愛敬。コメントしただけ無駄だったなあ。
いやはや、私とは別相手に向かって「容赦しない」のすごいせりふ、喧嘩相手に「容赦されてない」気もするのがお気の毒、
頭の弱い子供をいじめちゃいかんよ、「セカンドレイプ」はどうでもいいけど。
暇つぶしの鑑賞にも値しないお子ちゃまなので、読むことはおすすめしません。