話題をあさる。

児ポ法」について色々なご意見を読みあさっているのだけれど。
「自分」を「おかず」にされるとやはり不快だろうの意見を読ませてもらって、確かに不快だ、とは思う。
ただ、かつて若かりし頃の私が気がついたのは、もし、そういう妄想を私に抱いている人のことを不快に思うと
その妄想の中の「私」を「私」が「私」と「認めてしまっている」てことにならないか?と言うこと。
つまり、あくまで彼の中にいる私は「私個人」ではなく彼が思い描く「別の誰か」、
でも私が「不快」だと思うことによって「私」と認めることになり、彼の妄想は「真実」に近くなる、
これが一番私にとってはイヤだったな。だって一番相手を喜ばせることでしょう?妄想の中であっても「私」を確実に「とらえた」っていう。
「ああ、そうですか、私をネタにして妄想しましたか、でもそれ、あなたの「妄想」であって「私」ではないですから」が私の立場。
「あなたの想像上の「私」を現実の私が認めることは決してありません」の態度をとれば、へたれな妄想なんかすぐ萎える。
「こーんなことをするときっとあーんなかおになる」とか、へっ、勝手に妄想してろ、
そんな貧弱な妄想でこっちが不愉快になってたまるもんか、みたいな、
女はこれくらい厚かましく強くなきゃ、生きていけないんです、少なくとも「乙女」な頃の私はそうでしたな。
他人の夢の中に「私」が現れたからと言って、それにいちいち反応してたらやってけないじゃないですか、
くずみたいな妄想は相手にしない、だから私は「規制」しようとは思わないですね、自分が「ネタ」であっても。
下手な肖像画に本人がいちいち「これは私です」と「保証書」くっつけて回るようなことはしない、で、わかってもらえるかな。
どのみち「若い女」である「だけ」でいろんな妄想のネタにされてしまうのは、もう物心ついた時分から、
「女」であればうっすらとでもわかってるもんで、年をとるまでそれとつきあっていかなきゃならない、
だから心優しき男性が「それは大変でしょう」とお気を使ってくださるのはとてもありがたいことで、
よろこばなければいけないのですが、今回のネタに関する限りどっちかって言うと
「そんなことをしてるとPTAが文句を言ってくるぞ!」的な使われ方のような気がしないでもないです、ハイ。
か弱き男性にとっては全然好みでもなんでもない女性から「はぁはぁ」な妄想のネタにされるのは「いっやーん」な感覚でしょうが、
きっとそれは女性のように「なれて」ないから感受性が特別強いんじゃないか、と
それから私はほとんど実在の男性をネタに性的妄想を抱いたことがないんで、
そういう妄想を抱くって「訓練」のような気もしますなあ、、、男性はそういう「訓練」をどこで積むんでしょうか。
大昔、私のアホ弟が自室の天井にアニメ(「ダーティペア」だったと思う)主人公の特大ポスターを貼ってましたが、
あれが「訓練」だったんでしょうかねえ、、(注;アホ弟でも今は平和な既婚者です。)
なんにしても「妄想」の中の「私」はやはり「私」ではない、と私は思います。
こういう考え方って、私だけなんですかね、他の女性はどうなんだろう、
アホな妄想につきあってられっか!がわりと一般的なんじゃないのかな。
児ポ法論議は奥が深いのでついしみじみ読んでしまうなあ。