雑談。

しくしく、本当に「書こうかなー」と思ってたこと忘れちゃったわ、妙なところからの検索記録が悪い。
リンクきれよ、って思うけどそれはしないんだー、いつかトラバや、コメ欄書き、する「つもり」だし。
思えばコメ欄に書かないでいたからめちゃくちゃ書かれるんだよ、もっと早くに書くようにするべきだったわ。
ところで、昨日お会いした奥様方は当然もういい年のおばさま方なんだけど、
私がこの方々とおつきあいするのが好きなのは皆様、ものすごい「達観」をお持ちだからだ。
いわゆる地方の「名家」出身の人が多いんで生まれたときから「どこそこの家の子」って言われてきて、
ずっとそういう「目」でみられることに「なれ」というか、「あきらめ」というか、
もう「みられてなんぼ」くらいの意志の強さを若い時期から持ってきたところがわたしはいいな、と
「金持ちの家の子」「だから何?」って開き直るすがすがしさ、まあふてぶてしさと言おうか、
結婚しても、子供を産んでも、多分「いつか失敗すればいいのに」と見つめられ続ける。
そういうものと無意識で戦ってきた人のすごさを私は尊敬するんだよな。
「フェミ?何モン?」みたいな奥様方に会う時は、私は、何故かつい「やーせいてーきで、さえてるれんちゅう」の歌が出る。
「見られてこそ華」の意識で生きてきた人たちと一緒にいるのは刺激的です、「いつも」は、いやですが。
月一で「嫁仕事」はしなくちゃね。
去年の末からお見かけしてすっかりファンになっている「びせいそ」さんのところを読んで、
ドロシーなんとかの詩に対する繊細な感情とか、うちの子がこんな感覚を持ってくれたら、と、思ってたら
なんかお母さん嫌いっぽいような気が、、うちの子がこの方のように健やかな感覚をお持ちになるには
母として、嫌われなければいけないのかしら、いや、もう嫌われてるかしら、わからないわ、ぶつぶつ、、、
Z会の保護者向け冊子に「思春期のお子さんとのコミュニケーション方」なんてのがあって、
そういうのを鋭くチェックした娘が「ママ、何か工夫してるところあるの?」と、
いや、何も考えてなかった、というと「ふーん」と、やれやれ、それなりに不満はあるんだろうね。
うかがい知れませんが。
「びせいそ」さんが先日書かれたものからたどっていくと、山田詠美の著作について書かれていて、
へえ、私は山田詠美を森瑤子と同じ箱に入れてたなあ、この人が描いた漫画も読んだなあ、
でもこういうのは読んだことがないな、と良いものを紹介していただいた、と思った。
その話についての「意見」は面白くて、それに対する「びせいそ」さんの見方も(お、今変換すると「美清楚」になった、いいかんじ)
優しくていいなあ、と最近の若者は私が若いときよりよほど出来がいい、とひそかに思っていて、
そういうことをお気に入りの日記の人も思っているらしいのをいくつか見かけて、人間って進化してるよな、と思うのでした。
知性は必ず美しいかたちに開いて正しい方向を目指していく、と私は信じている。
そういう感覚を強めてくれる若い人の日記はいい。
もう1人、私の気に入っている仏文の人もそうなんで、「びせいそ」さんに紹介したいなあ、と(もう知ってるかな?)
まるでお見合いおばちゃんのようなことを考えるのだった。
仏文の人はまた変なのに絡まれちゃって、なんでこの人に絡む人がいるのか私としては不思議なのでした。
「見られる」と言うことについて考えたい、と思ったのですが、枚数超過なのでまた今度。