におい、とか?

腐ったもののにおいをかぐととたん元気になるって特殊な体質か?と思ったり。
「いいにおいだなあ」というのの元をたどることを私はあんまりしないんだな、
「いいにおい」ってだけで満足して、それを発生させているものがなんであるか、
全然興味がない。反対に「嫌な臭い」は徹底的に追求する。
(何でか「いいにおい」はひらがななのに「嫌な臭い」は漢字に変換された)
「嫌な臭いは元から絶たなきゃだめ!」ってすり込まれてしまってるのか?
「くさいものにはふた」的な考え方で現実世界を生きているのに
たとえばネットでは自分を不快にさせたものを徹底的に追求せずにはいられない、
「この不快感は一体何?臭いぞ臭いぞ、何が臭ってるんだ?どこどこ、臭いの元は」って。
一人暮らしをしてた学生時代に自分で作った牛肉の煮付けに大あたりにあたって以来、
恐ろしく食べ物の消費期限とか、そういうものに敏感になっている。
(それにしても「白い恋人」には裏切られたわぁ、、)
冷蔵庫や保管庫に消費期限の切れた食べ物は一切置いてないんだけど、
それでもふと何か臭うことがあるんだよね、もう、何が原因かわかるまでずっと悶々する、
「わかったー!おまえだぁー!!」って思い当たるまで。
絶対何が腐ってるのか、あるいは腐った臭いは発しているのかわからねば気が済まない、
「嫌」を解体しなければ我慢できない、まあ、気が弱いってことなんでしょう、
なんて傷つきやすい私、ほほほ。
少し前に腐りかけの果物を食す、と言うことについて、完熟、と言うか熟しというか、
その腐る一歩手前の状態を見分けるのは難しいな、と思った。
「疑わしきは食せず」と小さな子供には教えるけど、ある程度大きくなれば腐ったのと腐る手前のと
自分で見分けるやり方を覚えさせるためにも選ばせるのが重要かな、
でも私みたいに生理的に、腐ったもの、即ゴミ箱!では、
腐ったものを子供の目に触れさせる機会がないか。
専業主婦の育児で気をつけなきゃいけないのは自分でも気がつかずに
いろんなことの先回りをしてしまうことかも。(でも腐ったものは許せないわぁ、、)
子供が小さい頃、
「はて、このうんちの臭いは何から来たものか、はたしてこれはどういうことを意味するのか」などと
オムツを替えながらしばしば考えていたものだ。
ミルクだけのうんちの臭いと離乳食が始まったうんちの臭いは違う。
上の子は新聞をかじる癖があったのでよく新聞がそのまんま出てきた。
下の子は「ぎゃー」って言うような小さなおもちゃが出てきた。
(よくつまらなかったもんだよ、ちょうど上の子が楽しくシルバニアで遊んでる時期だった、
即、相当高い位置におもちゃをお引っ越し。)
「あ、おかしな臭いがする」とわかってもらうこと、それからどう対処するか、考えること、
未だにその対処法が私に確立できてないんだから、子供に考えさせるのは無理かな。
なんにしても「このタマネギは何故臭う?」と考えるのは必要。
私はもうちょっと「いいにおい」にも敏感であるべきかしら、、、と全然反省してません。
やっぱり臭いものを求めてかぎ回りたいのでした。
ところ腐ってるか腐ってないのかよくわからなかった某所でのやりとり、
考え方は違うけど、この子はいい子だと思ういぬくんの方がなんとなく正しい気がしてたのを
大野先生のところとドりゃーの人のところで確認。
「腐ってる!」の「主観」にそれほど間違いはないか、と、でも「客観」は「主観」の集合体なのか、
結局「好き」「嫌い」ってことなのかも、よくわからん。