1行感想。

「やせたらきれいになれる」という永遠の女性の妄想があるが岡田斗司夫の求めるものはなんだろう、
と、昨日の朝日の広告を見て思う。1年で50キロってメタボ侍より危ない道を走ってないか?
なんか髪の毛も薄くなってるみたいできれいになったって感じではないなあ、貧相になったって感じ?
非常に個人的な趣味で悪いんだけど、私はデブって嫌いじゃない、男は小太りの方が恰幅がよくて
いいんじゃないのかな、まあ、欧米人の信じられないようなデブになると話は別なんだが。
身内の男に背が高くて細いものが多いので私はその手の体型の人間にあまり興味がない。
干物男のようなオタキングは私の中ではもう終わった。
インドに向かった安陪首相はパール判事の遺族に会う予定だそうだが何のため?と言いたい。
ご本人にあれこれお話を聞くとか、あるいは昔から親交があってついでに挨拶、とかならわかるが、
(公費で行ってるのに、知人に会うのを予定に組み込むのはなんだか変な気も、、)
今更その遺族ってなあ、、、右翼のご機嫌取りみたいでやな感じ。
パール判事は右翼の神様的存在らしいがA級戦犯を全員無罪にしたのは純粋な法律認識の問題であると
決して日本軍が潔白だったなんてかけらほども信じてなかったと思うけどなあ。
南京大虐殺にしろ、日本軍の働いた残虐行為を認めていてもなお、立法の理念に基づいて
あえてあのような結論を出したんじゃないか、とNHKの番組を見て思った。
今年もNHKの戦争関連番組は見応えがあった。
と言ってもハイビジョンの特集でカウラの収容所の話とマニラの日本軍の行いについての検証番組、
水木しげるの戦争ドラマ(?)を見た程度だけど。あとニュルンベルグ裁判について
何となく勢いづいて見た。連合軍はかなり良心的だったな、と改めて思った、
そこが負けた側の日本やドイツとの違いだろう、
勝っても寛容になれるかどうか、大国であるかどうか、で決まるのかもしれないが。
引きこもる専業主婦、について、穴蔵に入ってしまったような人っているなあ、と思う。
人見知りの激しさが病的な状態にまで高まる、自分も簡単にそうなってしまいそうで怖い。
それもあって奥様会関係のおつきあいを続けているのだけれど。
私も他人と話をするのは苦痛ではないんで時々お見かけする程度の人ともお話しするように
してるんだけど、バリアー張って全く入れてくれない、逆にものすごく攻撃的になる人もいるので
心優しくない私はそのまま放置、寄り添う心を持つ人は豊かな人だ。
おつきあいする中で責任がとれる程度に近しい存在は限りがあると思う私は狭量だと自覚する。
それが「この人とだけは話をする、あとはいない存在」としてしまう人との共通点かもしれない、
と思いつつ、直さないんだけど。他人の事情を知ってしまうのが面倒くさい、冷たいよな。
奥様会関係では子供を持たないワケとか、
そういう打ち明け話がきついんで、何か言いたそうな人からは距離を置く。狭い世界だし。
でも2件ほど義理を欠いてたのを思い出して夏休み明けに冷ややかにされるのをおそれて
あわててお礼状やファックス送ったりする私、いけませんねえ。
ネットで完全に穴蔵の闇を見つめて主観のみを研いでいる私と、
実世界でそれをしてしまう人との違いはどこにあるのか、匿名であるかどうかの違いだけかも。
優しいって強い。