「貧しさ」を見ている。(その1)

1ヶ月ほど前から朝日新聞で「虐待」に関する記事が連載されていて
今は実の子供を虐待する母親の話になっている。
幼い子供に母親がしつけと称して「たばこの火を手に押しつける」を
たまたま読んだ中学生の娘が衝撃を受けて「こんなこと本当にあるの?」と尋ねたとき、
ふと私が娘と同じ年の頃、不良がやっていた「根性焼き」を思い出した。
根性焼き」をやってた世代が親になってやってるのか、と一瞬思ったが
ひょっとして、これはその当時不良だった中学生が、幼い頃、たばこの火を
親に押しつけられるという同じことをされたのではないか、
それを「儀式」化させたのが「根性焼き」ではないか、と考えた。
「虐待」はずっと昔から続いている、今増えたのではなく、子供の希少性が高くなって
やっと光が当てられるようになった、と言う気がする。
私が通った中学に通っている上の娘は学校にきても校庭の隅の方で爆竹を鳴らして
遊んでばかりする連中を中学生だった私がかつてヤンキーを敵視していたように、
忌々しく思っている。まともに授業に出ない癖に何故学校に来るのか、
爆竹なら、河原にでも行ってやればいいじゃないか、何故真面目な私たちのじゃまをする、
といらだっている。
でも話を聞くに今の「不良」達は私の時代よりはよほどおとなしい、むしろひどく子供っぽく見える。
それは私が年をとったせいもあるだろうが、今の子供は「不良」と言うより
ずっと放っておかれて育てられなかった「子供」という気がしてならない。
親への反発と言っても、もう親が親として機能してないがために反発する対象もない、
ただどうしていいのかわからず、かまってほしい気持ちを精一杯学校にぶつけているような、
それもどこか遠慮がちにやっているように私には見える。
かつて私が中学生だった頃、同級生が無免許でどこからか手に入れたバイクで
そこらを走り回っていたものだ、今の不良はそんな金もない、そんな金を親が与えていない、
だから自転車に二人乗りして学校の周りをふらふらしている。
まともな「不良」になるのにも「金」がいる。
去年から中学生はほとんど向かい合わせにあるような小学校に足を踏み入れては
いけないことになって、何かの用で中学生が行かねばならないとき学校に
「許可」を求めるようになっている。
何故そういうことになったかというと、中学生が小学校に忍び込んで盗みを行ったためらしい。
小学生なら知っている「いつも開いてる体育館の窓」とか、そういうところから入って、
はじめはたまたまおいてあった小銭がなくなる程度だったのが、
たまたま保管の対象になってなかった名簿が盗まれる事件が起こって、
中学生全員「お出入り禁止」になってしまった。
中学生が名簿なんか持ち出すはずがない、この事件にはそれをやらせた「大人」がいる。
その名簿に名前のあった我が家はしばらく再々子供の名前でくだらないセールスやら、
名簿に載ってない情報を聞き出そうとする悪徳業者から電話がかかったものだ。
持ちだした子供にはほんの少しのお小遣いが渡されたかもしれないが、
おそらく何倍もの値段でその名簿は売られたことだろう、
以来、小学校ではありとあらゆる名簿類をすべて保管庫に鍵をかけておくようになった。
委員会活動で持ち出すときも必ず記録をつけるようにしている。
中学でも同じように名簿をねらった盗難事件があったが
はじめから子供を信用していなかった学校は名簿の管理は万全で先生が
うっかり残してあった小銭がなくなった程度で終わっている。
それでも警察を呼んで見せびらかすように捜査したので、もう忍び込むヤツはいなくなった。
そのすぐ後、学校に姿を見せなくなった子がいて、そのわかりやすさに私は哀れみを感じている。

しばらくだらだらと、私が見ている貧しさを書き残そうと思う。