ふやけた意見。

数年越しの「湯治」がかなって嬉しい。ダーリンが転職して以来、続けての休みが夏以外になくて
(1年目は全くなかった)また間際に休めることになったんで、探した、探した、イヤー、それでもあるもんだ。
泊まる部屋はちょっとあれだったがお食事は大変よかった。やはりこれに尽きる。
もっとも人の作る御飯はなんでもおいしいんですが。
温泉の湯気に蒸されて、ふと思ったのは、世の中「湿度」がたりないよな、ってことだ。
なんでもすぐに「風通しをよくして」だのって、世界はカラカラに乾いていく感じだ。
人間って、ちょっぴり湿ったとこでないと生きていけない気がする。
ホームレスの人が公園で自分の「巣」を営むのもそういう「湿度」を求めているのかなあ、
収容施設に行きたくない理由はそんなかと思ってたら施設は数カ月で出なきゃいけないと知って納得した。
しかし昔からホームレス、と言うか「何」が「誰」が住んでるのかわからないような場所があったと思うが、
最近は「見てみぬフリ」が出来なくなっているんだな。それだけ世の中が「無駄」を許せなくなっている。
あまりに「無駄」を省き過ぎるとかえって全てが「無駄」になってしまう気がするのは私だけかね。
究極に言えば生きてるのだって「無駄」だしね、「どうせ死ぬ」のに。
「無駄」が作る何かが新しく有益なものを導く(かもしれない)とでも思ってみたらいい。
と、自分にも言い聞かせるところがありますな、「無駄、無駄」とは私もよく言うし、よくやる。
「無駄を省く!」とは実に素晴らしい決め台詞でもあるし。
子供が増えない理由についてあちらこちらを読んで、子供が社会の「フリーライダー」である、
の意見に考えさせられた。どうだろう、いずれ社会に出て、「働き手」となるわけなんで
「期間限定」の「フリーライダー」なんだよな、社会に「後払い」しなきゃいけない、
「後払い」を期待されて「産む機械」となって子供を産め、と言われてもね、と私は思うけど。
大体、本当に「フリーライダー」と呼ばれるほど日本の子供って優遇されてるか?
給食は無料じゃないしね(私は払ってますよ、当然ですが)、
給食を無料にしたら何を食べさせられるかわからない、の意見を読んで、そうかも、と一瞬思ったが
実は払ってても相当妙なものを食べさせられてるんだな、こればっかりは払ってるから
いいものが食べさせてもらえる、とは限らん、と言って払わなくなったらより質が落ちる、ってのはありえそうだ。
子供が増えない理由の一つとして私は社会に「湿度」がたりない、と思う。
子供ほど湿度の高い生き物はないからね、むしろ湿度そのものと言っていい。
だから今の社会では「無駄」扱いなのかもな。
ここ数年「無駄」ってもんが、悪玉扱いされてなんでも「もっと一般人にもわかりやすく!」とか、
「素人の意見こそが正しい!」的、まあカビが生えたようなもんには無知の「光」を当てるのも一考かとも思うが、
なんにでもそれやるのってどうよ。
「教育現場にメスを入れる!」なんてド素人が切り刻んでどうなるよ、切って、開いて、それで?って、
カラカラにひからびた教育現場が後に残るんだろうなあ、
そしてそこにポツン、ポツン、と子供と教師が取り残されて、その間でつながるものってあるのかな。
「湿度」というか「密度」というか、私は少子化を悪いことだと思わないけど、色々考えてみたくなった。
例えば遊具が撤去されて荒涼とした公園、、、そういう風景が教育現場にも訪れるのかな、
なら学級崩壊してた方がマシかもね、少なくとも、崩壊にいたるまでの人とのかかわりがある、
人と関わることは「湿度」を求めることかも、と最近思う。
温泉でふやけました。すみません。(うーん、一気読みしたから人の意見をごっちゃに書いただけかも)