子供を持つって、、、。

昨日読んだところで子持ちの既婚男性が「子供を持つ事で自分の一部分が死んでいく」云々と書いていて、
昔知り合いだった人(男性)が共通の友達(男性)が急に「子供が欲しい」と言い出したのに
「あいつはもう終わってる、男が子供を欲しがるのは自分を諦めた時だ!」なんて言ったのを思い出した。
当時、皆、学生でまあその身分で子供が欲しいと言い出す男性も珍しいな、と思ったが、
それ以上に「自分を諦めてる!」なんて反応を示す人も変わってる、と驚いた。
何故自分がそう思うのか、その人が滔々と語るに
「子供を持つとは自分のあらゆる可能性を放棄する事になる」んだそうだ。これって男性には一般的?
うちのダーリンに聞いてみたところ、うちはダーリンが晩婚な人なんで先に結婚したのに全然子供が出来ない人を
沢山見てきたから子供ができるってものすごく有り難い事だとしか思えなかったんだそう。
「自分の可能性の放棄」より「自分が子供を持つ可能性」の方にしか頭がまわらなかったと言うのが
うちのダーリンらしい。なんにしても少なくとも世界に二人は子供を持つ事で何かを失う、
と惜しむ気持ちがある男性がいるのはわかった。
でも、単にあの文章を書いた人が子供の事を語るには衝撃的な「死」の言葉をそれほど重みもなく
使ってるのかもしれないし、別に責める気はないんで、ただ子供を得た事で手放すものがある、
くらいの言い方が穏便でよろしいですよ、って事かな。前にどこかで読んだ
「子供を持つ事で手放す感情があると言うより単に年をとったからそういう感情が失われたんじゃないか」
と、私はこれに賛成だなあ。子供のためになにかを「諦めた」ってのはなんだか私の中でしっくりこない。
子供を得た事で蘇って来る感情は山のようにあるし、手放すものはそれほど惜しいものじゃない、と思う。
子供を持つ事で何かを我慢する、って事なのか?なんか我慢してる事ってあったかなあ、、
うーん、子供が小さい時にはあったかな?なかなか本が読めない、とか(読んでたけど)、
ダーリンと二人っきりでお出かけできない、とか、それもそれほど私はつらくはなかったんで、なんだかなあ。
眠いのには参ったけどそれも気がつけば終わってしまう時間だし、
ただ友達が自分の旦那さんが子供に嫉妬する、とは言ってたなあ、イヤー、私だったら
「誰の子供の面倒見てると思ってるんじゃー!」と怒ってしまいそうだ。
愛が足りないせいかうちのダーリンは一度もそんな事は言わなかった。
学生時代に急に子供が欲しいと言い出した友達は「女はいいなあ、誰の子供でも産めて、絶対自分の子供だし」
とぶつぶつ言ってた。男は一年に何人でも子供を持てるんだけどなあ、、あ、こんな事言ってると、
なんか私があまりにもモノを考えずに生きてるような気がしてきたんで(ま、そうなんですけど)やめよう。
私は子供を持つってやはり「再生」のような気がする。だから子供に先に死なれてしまう親は哀しい。
子供は「可能性」だけど、それは自分を諦めた「代わり」の「可能性」ではないと思う。命の連鎖は美しい。
(あー!美しいなんて言葉を使ってしまったー!!この場合の「美しい」は安倍っちの「美しい」とは
「全く別物」ですっっっっ!!!ちなみに「再生」も。本当の「うつくしい」ことばをかえせー!!)
子供を持つのは面白いンでそういう楽しさの「可能性」にも目をむけて欲しいかな、と思うのでした。
私は子供を持つ事への女性のためらいはよくわかるのに男性の気持ちはさっぱりわからない、
うーん、ジェンダーバイアスがかかってる?こまったもんだ、、