「傷つく」ってなあ、、

年末に見つけたお気に入りの若い女性のブログやら昨日久々に書いて検索記録で行き着いたところやら
「傷つく」とか言う言葉が今ちょっとしたブームなのかも。「傷つく」ってのは魅力的な言葉なんだろうね、
どちらかが加害者になるし、被害者になる、多分間にあるのは「力」で他人を傷つける「力」を持つ、
と言う事に魅力を感じるのかな、でもそれをできれば他人に知られたくない。
被害者を自分で作る快感を味わう、まるで無表情で虫の羽をもぐ子供を思わせる。
本当は傷ついてるんでしょう?と顔を覗き込む、そういう人っているなあ、
私は傷ついてないフリをする人に本当は傷ついているくせに、なんて言う趣味はないし、
人が傷ついていると感じ取るのも実は不快だ。
傷つく、ってのはかなり個人的な領域で隠しておきたい人の気持ちはよくわかるし、
私自身が傷つくかって言うと残念ながらその「傷つく」行為で自分が利する事がない限りそういう感覚は
なくしてしまった。私が傷つく事で気分がよくなる人のために傷つくのも「アホくさ」となると
不快な事項は消去、になる。これが年をとってよかった事なんだよな、生活している限り
不快な事なんてしょっちゅうある、次々ある不快な項目でいちいち傷ついた、なーンていってると病気になるじゃん、
それよりは踏む、忘れる、ってそれをする君の心は本当は傷ついてるんだよね、と言われても、
ああ、そうですかね、それで?って事、傷ついたのを隠す事で他人を思いやれなくなっていく、
って事がないかと言われたらさあ、どうなのかね、もうこれも個人差で「私、本当に傷ついちゃった」
と言う事でその傷つけた、とする相手を傷つけようとする、或いは反応を見る、って私もしますね、ハハハ、
なんか自分の踏み込んで欲しくないところにぬけぬけとやって来るやつにはそれくらいのしっぺ返ししてもいいかな、
なんて思ったり。でも最近はそういう事もしなくなったなあ、と言うか、そういう不快事項がなくなった。
もう傷つくって感覚がよくわからなくなった、ってことかなあ、
だから若い女性がブクマコメントに「傷ついちゃった」なんて書くのを「おお、可愛い」と
おっさんのようにデレデレ読んでしまうし、「傷つかない自分を錯覚する」と言うのにも「ホッホー」なんて思う。
つまりもう終わっちゃった感覚をちょっとだけ思い出そうとしている、ああ、枯れてるわ、私、
実はあんまり実生活では怒る事もないのよね、だからブログでキレる、怒るって感情をなくしたくないから、
怒るってのは他人に期待する事だから、そういうあたたかさをまだもう少し持っていたい。
いずれなくす感情をつなぎ止めておきたい、と思うものの、やはり「本当は傷ついてるんでしょう?」
なんて言って来る輩にろくなやつがいない、ってのを実生活でしみじみ知ってるンで「傷つく」って感覚を
コントロールできるようになっててよかった。そういう目にあうのも時期が決まってるんだけどね。
でも年末に保護者会やらあれこれあってしんどくて、あとで「すごく傷ついたんじゃない?」と気にした人がいて、
その「傷ついた?」という言葉には謝罪があったので、それをもっと嬉しく味わうために
傷ついてた方がよかったかも、なんて思った。期待がなかったのでその謝罪は驚きだった。
いやいや、と言っても本当は傷ついてる、、なんて思ってくれるのは悪くないな、フフフのフ、
と、このようにおばはンは図太くなってくるわけだ。
「傷ついた?」ってのは相手に自分の思ったとおりの反応をして欲しいことなのかな。
相手より優位に立ちたい事なのかね。「知ってるんだよ」ってね。
「本当は傷ついてるくせに」と見すかしたように言う奴に
「あー、傷つきました、むっちゃ傷ついた、傷ついて死にそう」と言いたいけどやったら人間関係破たんしますな。
でもその破たんを見たいような、、うーん、破滅願望、困った狂気。相手の反応を見て楽しみたい点では同罪か。
「傷つかない自分を錯覚する」ってのはかなり傲慢な見下し目線の言葉だと思った。
そういうのは便利だから好きな人がネットにわりと多いね。