三浦展「『かまやつ女』の時代」を読んだ。

ものすごくショーもない本を読んでしまった、、
要は「オデの好きな頭のユルそーな、すぐやらしてくれそーな、かあいい格好の若い女の子が
ものすごーく少なくなってしまったよぅ」という内容を大変もっともらしく
エエかげんなウンチクを匂わせつつ書いてある。読む価値無し!こんな忙しい時に私は何をしとるんじゃー!
と自分に腹が立ってしまったよ、豚角煮作りながらこんなもん読みふけってんじゃねーよ!
この間とったアガサクリスティーシリーズもまだ見てないと言うのに、、
下流社会」で有名な三浦展が書いたもので、私はまともな著作を読むのはこれがはじめてだ。
下流社会」が流行った後あちこちの雑誌で時々拾い読みはしてたけど、なんか変な事言ってんなー
のイメージが今回、確定。ムッシュカマヤツみたいな(?)だらしない格好の女がいて目障りだ、
オレのようなデキル男には理解できないぜ、皆もそうだろっ、なっ、なっ、なっ、とオヤジ節きかせまくりで
どこかでこの人の書くものは小倉千加子さん路線だと読んで、たしかに女性誌からの分析とか手法は
似ているかもしれんが小倉千加子さんの方が遥かに優秀、小倉さんは切り取ったものが
そのものの断片でしかないにせよ正確に切り取れてる印象だったけどこの三浦展氏の場合、
「絶対こうじゃーん?」の思い込みの証明をせっせ、せっせと集めてきました、って感じ、
私はかまやつ女に共感を覚えてしまいましたね。それにこの手のファッションはいつの時代でも、
ある世代の反発をかってますわな、まえに袖の長いブラウスかシャツからちょっとだけ手を出す女、
とかいうんが槍玉に上がりましたな。あれを槍玉にあげたのはフェミの方だったっけ?
年寄りにはよくわからんファッションをするからって「フェミニズムが悪い」「女らしさを否定したから」
ってのはどうなんかねー、もちろん「上昇思考をもてない現代の若者のありかたが悪い」って
上昇思考なんて持ったところでどうにもならんわ、と思う今の若者の状況を考えてやる方がええんやないですかね、
ゆるーいようでそのゆるさは服を着ている自分にだけ向けられてる!ってそれが悪いと言われちゃあなあ、
そのへん歩くおばちゃん達を何故糾弾しない?おばちゃんはいいのか、年寄りだから。若いといかんのか、やれやれ。
たしかにあの格好は奇妙キテレツではあるものの、何となくああいうファッションを好む心情はわからないでもない、
もうそっとしておいて、私を女に見るのはやめて、って本当今でも女の子はそうやって自分の身を守るんだなあ、
OLファッションを「他者の期待に応えて仕事をしようという態度の表明」と「異性の目を喜ばせる」
と受け取る三浦氏のようなオヤジの露骨にいやらしー視線をさけるために。
「おぢさんがなんでも教えてあげようね」なーんてことを言いたくなるような
可愛いOLスタイルの女の子がいないよぅ、あわよくばやってしまえる、みたいな女の子がいないよぅ、
という嘆きなんだよな、この本は。やる気満々男の好むファッションのトップに来るのが
まず間違いなく「ワンピース」、だって脱がせやすそうだもんね、
かまやつ女は脱ぐのに時間がかかりそうだモノ、嫌われるはずだ。
私はどうにもこういうカテゴリー分けしたもんが好きになれん。好きにさせてやれよ、お前喜ばせるために
若者は服を着るんじゃないんだぜ、とそしてハイソ系女子のありがちなファッションも
実は手が出ないから嫌いだけどそれに文句いったらとんでもない吊るし上げにあるじゃーん、
ってまあ一橋大学御卒業、50前世代は思うんでしょうな。
私は真面目に仕事をするというかまやつ女は悪くないと思いました。
三浦展の本、もう一冊「上流な私?下流な私?」をとなりにあったんでつい借りたんで正月ヒマになったら読みます。
ものすごくアホ臭そうですが。ま、年寄りは、すぐに若者は若者「らしく」あれ、と言いたがる本でした。
「らしさ」なんてくだらん。なんか、曾野綾子読んでる気になった、おおっ、そういや姓が「三浦」だ、御親戚?