教える事は難しい、、、?

なんか昨日はタイトルを先につけて最後に書いておこうと思った事を忘れてしまって、
いつものようにおかしくなった。数年前、一緒に役員して親しくなった人がパートに出るのを決めた、
と話してくれた時のことで、「あんたは家で見られるんよね、ちゃんと子供もしつけられてるし、
でも私はダメ、勉強苦手やし、無理にやったらきっとイライラして手がでる、それだったら外に働きに出て
「餅は餅屋で」で塾に行かせた方が私のためにも子供のためにもなる、私、外で働くの全然苦痛違うし、
家にいる方が退屈やし」と、ちゃんと自分の「出来る事、出来ない事」を説明してくれた。
家で子供を見る選択をした私を責めるでなく自分が外に出る事を否定するでなく、
向き不向き、をちゃんとわかって選んだと言ってくれて私はそういう姿勢を見せた友達をとても尊敬している。
仕事を始めると忙しくてなかなか話す機会はなくなったけど。「教えるのは苦手」とはっきり他人に言える人は
エライと思うし、だから他人にゆだねる、と決断するのもすごいと思う。出来ない事を認めた上で
出来る事を考える、こんな当たり前のことが出来る人って、情けないほど少ない気がする。
「教える」って難しい、と実際家で子供を教えはじめてしみじみ思っていて、
それは私の頭が悪いせいだといわれたらそりゃーそのとおりでございます、あなたに何のお間違いもございません、
と言うが、それ以上にやはりわが子に教えるってのは距離の取り方が非常に難しい。
奈良の放火殺人事件をおこした子供のお父さんが勉強を教える時についやり過ぎてしまった気持ちも
ちょっとわかる気がする。密室で教えるとは他と比べようがなくもっぱら自分基準でものを考えてしまう。
私は大変いいかげんではあるものの一応英文科を出たくちだから英語という教科が好きだったりする。
そして昔は「ABC」からはじめたのをすっかり忘れて「なんでこんな簡単な文章がわからないの?!」
と子供につい、いらだつ。また国語、特に現文で間違った事がない、な−んて都合よく過去を美化した私は
論説文を読んで的のはずれた答えを出しがちの子供に打ちのめされたりする。
自分の得意な教科を人にも教える事ができるか、と言うと必ずしもそうではないようだ。
いっそ不得意だった数学の方が謙虚な気持ちで「一緒にやろうね」になれたりする。(とかいいながら
できる問題があると「ホーラ、脳の劣化したママでさえ20年以上前に習った事ができるのよ」と自慢する、
こりゃー私の性格が悪いせいだな、娘達はこの母親を我慢しつつ勉強する、いや、今さらながら御立派!)
人からはそれなりの結果が出せてる上の娘の面倒をみてる私はちゃんとしてる、とおホメ頂いたりするが
何の事はない、上の子は誰が教えてもできるんじゃーないかと言う気が、、
要は下の子がどうなるか、にかかってるな、と、思うとよけい教える事が難しくなる、、
ま、おふざけはこのへんにして具体的にこれは難しい、と思ったのは歴史についての質問を受けた時のことだ。
日露戦争って日本は結局勝ったの?負けたの?」といわれて、参考書には
「ロシアでは日本に負けたとは考えられてない」と書いてあったりして、その一文がどのような意図を持って
書かれたのか私にははかりかねてつまりこの参考書を書いた人間は
「ロシアは負けた戦争を負けたと認めない国である」とでも言いたいのか、と深読みしたりして、
でもそれは言わずあれこれ娘に調べさせて出た結果は「日露戦争は日本は勝ったとは言えない」ってことで、
はて何故、このようなギリギリ「負けなかった」だけの戦争を「勝った」と日本は言い張るのか、
娘はそういう事まで私に聞いてくる。おかーちゃん、なんて答えていいのかわかりません。
よく考えたらボロ負けに負けまくった太平洋戦争(大東亜戦争?)でも「終わった」と主張する国だから
昔から異常に負け惜しみが強い、などと言ってはやはりまずいんではないか、と悩む母、、
と言って学校の先生に聞け、とは言えません。うちは田舎だし、先生に「お前の家はアカじゃ」
と言われかねん風土なの、昔っからそう。
「色々解釈の仕方があるから」と大変オトナの解決方法をとったものの、こんな場合、どう言えばいいんでしょうね、
とネットに答えを求めて散策するのであった、、、未だ妥当な答えが見つからん。
教えるって難しいわ、やっぱり。