出来る事と、出来ない事と。

塾禁止に賛成、とお気に入りの方が意見を出されていたのでふーんと考える。
これはねえ、多分お子さんをまだお持ちじゃないから多分実感として塾がどんな役割を持ってるか
しらなくて言える事だと思う。私は無駄な塾に高額な金を払うのはまっぴらごめんだし、
また高額な塾に限って無茶苦茶アホな事やらせてたりするのも知ってる。
でも、それがわかる人とそうじゃない人がいる。この場合、「わかる」ことがいいと限らないと思って欲しい。
子供の勉強につきあうとは、本当に時間がなければ出来ない事だ。
パートや残業や、くたくたになって共働きする親に、これ以上子供の勉強の面倒見ろ、と言っても
私は無理だと思う。「教える」って行為はそう簡単なものじゃない、
私は中学まで子供の勉強の面倒見ているからよくわかる。
たしかに上の子はずっとトップで塾に行かせない成果かもしれない、でも私は塾にも行かせる意味はある、と思う。
学校以外の世界を知ると言う事、先生以外の人に教えてもらう事、(アルバイト学生とかね)
それが全く無意味だとは私は思えないんだよなあ、なんらかの刺激になるのは間違いない。
ただ勉強をするだけ、の世界に学校はもう出来てない。勉強しなくちゃ、の気持ちに少しはさせるきっかけや、
或いはお母さんがパートに出て塾代払ってくれてる、と子供が気がついたり、仕事で帰りがおそいから
子供をひとり家においとくのは心配だし塾に入れば仕事帰りに親が迎えに行けて安心、とか
それぞれ事情を持って塾を活用してる。この現状を知らずに塾否定は唐突だし、
勉強ができない子は塾にいけ、ってのもなんか変。
ろくでもない塾もあるが小粒に個人の先生がほそぼそと子供集めてきちんと指導している塾もある。
私は個人で生徒も選んでやってるような塾はいいと思う、勉強が不得意で、でも子供にはもう少し
自分より賢くなって欲しい親がそういうところを活用すべきだし。私は今のところ必要じゃないけど
必要としている人のためにも塾禁止は賛成できない。これってお金の有る無しじゃないんだよね、
もう地方の田舎の塾なんかは特に。寺子屋状態で親のかわりもちょっとやってる、みたいな、
そういう面を無視してしまうと子供達はいよいよ行き場を失ってしまう。
私は前に「学校行って塾行って家で寝て」の子供の生活を批判したけど、それでも塾を完全否定するつもりはない。
塾が好きな子供もいる。夜、親のいない家で一人いるよりも蛍光灯の下でざわめく他の子の気配を感じながら
半分寝惚けても人の声をきく、それで癒される子だって多分いる。
本当は家庭に誰かいるべきなんだろう、子供がいる時間くらいには親は仕事から帰れるべきなんだろう、
でもそれができる人は今の世の中、そんなに多いわけじゃない。教育現場をどうこう言うより、
その点をもっと考えて欲しいと思う。どうやったら親が子供のために家にいられるか。
社会の仕組みから考えていくと今の世の中はあまりにせつない。
塾はもう「行けばすぐ学力がつく」なんて「魔法の学校」じゃなくなってる。
(注:なんで子供を塾にいかせてないのに、あれこれわかる、と言われるかもしれないので念のために。
私の実家のとなりが地元でそこそこ評判のいい小中学生向けの塾です。ここ20年近く家の駐車場で
煙草吸ったり立ったままパン食ったりしてる子供達と関わってきました、無茶苦茶腹立つ子も中にはいますが
大抵は大人しい子供達でした、言葉をかわして来た近所の人間の雑感です。)
あら、尊敬する林先生まで「塾禁止」賛成派だ、トホホ、もう少し塾ってものの実体をわかって欲しいなあ、、
そして大勢の庶民の家庭の事情も。人に教えるってそんなに簡単な事でしたか?先生。
誰にでも出来る事ではないと私は今痛感しています。塾禁止は無意味だと思います。
「学校は勉強するところ」、まばゆいまでの正論です。でも現実はそうじゃない、そしてそうさせたのは一体何?
上の子で公立の義務教育につきあって8年、「正論」なんてもう聞き飽きた、、