戦争の、話。(ホントにおしまい)

昔、戊辰戦争のほぼ60年後にそれを見直そうと言う動きがあって証言を集める試みがなされたそうだ。
今、敗戦から61年経って同じくかつての戦争を見つめ直す動きがある。NHKができる範囲でなかなかいい番組を
連日放映している。これについての意見は様々で、とある有名(?)ブロガーなど
「あきらかにNHKの左偏向」だなどと匂わせていて、私はこの人のプロフィールに「チョイ悪」とあるのを
「(頭が)激悪」の間違いじゃないかとしょっちゅうおかしくなる。確かこの方は私より10年前後年長で、
もしまともに教育を受けていたとしたら「左傾教育」なるものを受けているはずなのだけれど、
教育が全く身につかなかった見事な「サンプル」として、今後「右傾教育」なるものが施されたところで
多分この方同様、ちっとも影響されずにすむ人がいるのだろうと大変期待している。
大体、戦争に負けた時あっさり寝返って戦死した家族を罵倒するような輩がいたのを忘れてはならない。
きっとこの手の節操のない人間であったのだろう。この方はどうも思想で「若作り」を狙っている節がある。
いい年なんだから控えましょうね。
さて、昨日私は今日をあえて「敗戦記念日」と書いた。戦勝国に賠償請求すら見逃してもらったほど
国を疲弊させておいて「終戦」などと、まるで吉本新喜劇池野めだかがボコボコにやられた後
よろよろ立ち上がって「今日はこれくらいにしといたるからなあ」とうそぶく並みに空しい「ギャグ」に
思えてならないからだ。当時の国家は国民に常に同じ反応をするように「教育」を「強制」して
戦争に行く以外、戦争を賛美する以外、選択肢を与えられている人はほとんどいなかったと言っていい。
それでも中には確信犯的に当時の軍国主義を迎合した人間達はいただろう、そういう人間達にも
ウムを言わせぬ空爆で、人間が「平等」に死ぬことをいやというほどアメリカは教えてくれたわけだ。
戦争を煽った人間やそれを許し、利用した当時の政治家、軍人、己の罪は己の前に常にあったのだ。
A級戦犯を追悼する意味を私はほとんど見い出さない。個人として憐れみの念を持ってみないわけでもないが
もっと多くの命が無駄に奪われたことを思うとそれは理にかなったものでは決してない。
戦犯達の骨は墓にあり、遺族はその最後を知っている、でも無数の日本人兵士達の墓には骨もなく
その最後を詳しく知る術もない。それだけでもA級戦犯達の罪は明白だ。
戦争とは決して負けられないものであるが、勝つものがいれば負けるものもいるのが「道理」だ。
「日本が負けた」という事実を曖昧にしてしまったのはあまりに当時の国家が国民を裏切り過ぎていたからで、
だから戦争を「終わった」と称し、押し付けであっても「もう2度と戦争はしない」と言う「平和憲法」を
生き残った多くの日本人達は勝ち取った「権利」として受け入れたのだと私は思っている。
「戦争はしなければ決して負けることなどない」、これは負け惜しみの中でももっとも良質なものではないかと
私は考える。そして「学ぶ」権利、今、日本の首相がやっていることがあきらかに馬鹿げた行為だと
冷静に見つめられる「目」を持つこと、「心ならずも戦争に行かれて犠牲になられた方々」が
その尊い命とひきかえに私達に残してくれたものだ。
私はもう、戦争に負けた事実を認めることを恥じたり、恐れたりする世代の人間ではない。
負けは負けと認めたところでなんら傷つくいわれなどないのだ。先祖達がよく戦い、残してくれたもの、
それが今、豊かな時代の中で無数の選択肢の中から自分が決めた道を歩んできた私自身だ。
自分が個人として確立しているからこそ他国の人間の個性も尊重する、自国の一部の人間達と同じく
妄想に踊らされている他国の人間達と同調しようなどとは思っていない。この国が、この先、
どのようになっていくのか、戊辰戦争を見直す動きののち日本がどのような国家に変わっていったのかを思うと
今後の状況は必ずしも明るくない。けれど、私達はちゃんと学ぶべきものは学んできている、
狂乱のバブル期を経て平成の大不況、自分自身の選択に時折疑問を持ちながらもなんとか人生のつじつま合わせを
試みている。成熟と洗練を経てきた時代の人間なのだと、もうすぐ「不惑」の年を迎えようとする
「戦争を知らない子供達」よりさらに若い私は信じている。この先流れがどうかわろうと、
勝ちだの負けだのにこだわりなく、したたかにこの世の中をわたっていくと私は決めている。
戦後の61年は決して無駄な時間などではない。退行に向かうかもしれない世界を
私はずっと見つめ続けようと思っている。得てきたものを否定することなく。